『銃口』

  ~人間として生きることと語る事

月刊アッセンブリーNews 第747 2017/12/1発行より

 『銃口』は、治安維持法下(ちあんいじほうか)で起きた北海道綴方(つづりかた)教育連盟事件と戦争を主題とし、国家権力と庶民(しょみん)の相克(そうこく)、人間として生きることの困難さと貴(とうと)さを描いた三浦文学の集大成である。

 1988年秋、小学館が「激動の昭和を背景に人間と神の問題を書いて欲しい」と依頼。「黒い河の流れ」という題で構想、資料調べを始め、題を「銃口」に決定。綴方教育連盟事件を知り、中心に据えた。連載中の92年1月にはパーキンソン病の診断が下る中で書き続けた、最後の小説である。NHK旭川の稲葉寛夫(現牧師)が制作した番組「光あるうちに」は、元日本軍兵士への取材や執筆時の様子を捉えているが、戦時教育者の問題を扱うことは彼女自身の傷を抉(えぐ)り出すことでもあった。いわば全身全霊、人生全部を賭けて、この国への遺言として彼女は書いたのだ。

 昭和十二年、竜太は小学校教師になり熱心に教えるが、昭和十六年一月逮捕される。綴方教育連盟が治安維持法違反とされたのだ。むりやり退職願を書かされ釈放されたが、同様に捕らえられ、取り調べ中に暴力を受けた坂部先生は亡くなる。ニヒルに陥(おちい)る竜太を支えたのは、「竜太、苦しくても人間として生きるんだぞ」という坂部先生の言葉だった。

 やがて竜太は召集されて満州で敗戦。山田曹長と二人で逃亡中、朝鮮人の抗日義勇軍(こうにちぎゆうぐん)に捕らえられるが、その隊長は、かつて旭川でタコ部屋から脱走して竜太の父に助けられた金俊明であった。

 二人を助けたいと言う金。反論する隊員たちに金は言う。
 「北森一家は、命懸けでわたしをかばい、肉親も及ばぬ愛を注いでくれたのだ。(略)もし北森一家のような人が、日本にもっといたなら、朝鮮と日本の国民は兄弟のように愛し合うことができたと思う。」

 ここには、「朝鮮人のタコでも人間だ」と言って助けてくれた竜太の父 政太郎への応答がある。「日本兵でも兄弟」になれるという希望を金は語ったのだ。土下座して、「許されなければ、わたしが代って撃たれてもよい」と熱誠(ねつせい)を傾けて語るその声は隊員たちの心を打ち、銃口は下げられた。それは金俊明の人生の生活綴り方の結論でもあったのだ。敵意、憎しみ、疑いを超える本物の人間の言葉と犠牲の愛が勝利し、人間を見出し兄弟として尊ぷ眼差しが人間を守ったのだ。

 金によって二人は無事に帰国するが、弟は戦死し、竜太は気力を失う。しかし戦友の近堂上等兵の犠牲の死を伝える手紙を読んだ竜太は、「近堂上等兵のように生きた人間のいることを、生徒たちに教えてやりたい」と教壇に復帰する。近堂弘は苦難の中を「にもかかわらず」誠実に生きた庶民の真実と犠牲の愛が一致した三浦文学の最後の答えの人物だ。教壇に復帰した日、竜太は「回り道」と題して自分を語るが、その人生の綴り方は教え子たちの人生に力になってゆく。人間への信頼、言葉への信頼をもって語る言葉が読者の生きる力となって欲しいという、三浦綾子の祈りが見える。そして、最後に竜太がヨハネ伝の学びを始めるところには、人間の言葉が神の言葉のいのちに結ばれてゆく希望が示されている。

*編集者注・昭和14年(1939)堀田綾子(後の作家三浦綾子)は教員として神威(かむい)小学校に赴任。
 このときの経験を、この「銃口」に著した。

《寄稿者》

森下辰衛 Tatsue Morishita

プロフィール
1962年岡山県生。元福岡女学院大学助教授。
全国三浦綾子読書会代表。 http://miura-ayako.com/
三浦綾子記念文学館特別研究員。