月刊アッセンブリーNews 第733号 2016/10/1発行より

「 ことば:ダバル 」 דָּבָר
「 言う:アマル 」 אָמַר

川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda

 今回は、「言う」を取り上げることにします。この言葉は、聖書の中に「アマル: 動詞5390回、名詞105回、ダバル:動詞1145回、名詞1454回* 」も使われています。

 最初に使われているのは、創世記1章3節「神は仰せられた」という言葉です。神が「光があれ」と言われると、「すると光があった」と語られているのです。この節からも解るように、言葉は単なる音ではなく、出来事を伴うものです。

 主イエスが、一人の百人隊長を「イスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません(マタイ8・10)」と称賛しました。それは、言葉に対する信頼、みことばに対する信仰を見たからです。イザヤによって神の言葉は、「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる(55・11)」と語られています。

 私たちは安易に言葉を発している時がありますが、神の語る言葉は、確実に実体を伴うものなのです。即ち、神が語られた言葉は、確かな約束なのです。

 聖書の中に「約束」と訳されている言葉は、全て神が語った言葉を指しています。神がアブラハムやダビデに約束した事は、神が語られたからです。

 私たちは、聖書を神の言葉と信じています。それ故に、聖書のみことばは、神の語られた、神の約束なのです。そして、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです(ロマ10・8)」とあります。私たちが告白した言葉は、神の御前で揺るがない、確かな言葉として受け止められているのです。あなたと神との間に交わされた約束の言葉なのです。

 *注 J-ばいぶる Hebrew