学生と先生の対話でわかりやすい ♪
三位一体の教理 その1
-父も御子も聖霊も同じか?-
今回から三位一体論の話をしよう。グノーシス主義との戦いがまだ続いている頃から、ある人たちは、「イエスは神に選ばれた人間で、洗礼を受けたときに神のカを与えられてキリストになられた。」と教えた。そうすると、神さまがただ一人であることとイエスさまは完全に人間であることを主張できる。でもキリストは神さまではなくなってしまう。
2008年3月1日発行 通巻630号
またある人は「神はあるときは父なる神として、次には御子キリストの姿で、その後聖霊なる神として現れ働かれた。」と教えた。そうすると、神さまはただ一人であり、キリストも神さまであることを主張できる。でも父と御子と聖霊の区別がなくなってしまい、十字架で苦しんで死なれたのは父なる神さまだったということになる。これはサベリウス主義と言われている。
サベリウス主義は20世紀のベンテコステ運動初期にあったワンネスの考えと似ていますね。それをきっかけに「基本的真理に関する宣言」が作られたんですよね。遠い昔のことではないですね。
両方とも「神はただ一人である」という教理を守ろうとする中から生まれてきた異端的な教えだ。グノーシス主義との論争で強調された、「神さまがただ一人である」なら、御子キリストは父なる神さまとどんな関係なのかが焦点になってきた。
真理を弁証することの大切さと難しさを感じます。
-アリウス VS アタナシウス-
教会はサベリウス主義を警戒し続けた。ところがそれ以上に強力な異端的教えが現れた。
それがアリウス(ギリシャ語読みではアレイオス)の教えだ。
彼は4世紀の初め頃に「御子が存在しなかった時がある。御子は無から存在するに至った。」と教えた。御子キリストは神さまによって創造された最初でしかも特別な存在である、御子によってこの世界は創造された、御子はあがめられる資格をもっている、でも御子自身は神さまではないと主張しているわけだ。
唯一で完全な神さまが苦しむことはありえない、だから苦しみを経験した御子は神さまよりも劣った別の存在であるという教えになる。
アリウスもまた真理を弁証しようとして、真理を歪めてしまったんですね。
このアリウスに立ち向かったのがアタナシウスという人だ。彼は、御子も父なる神さまと同じ神さまの性質をもっている神さまご自身であると反論した。
その背景には「被造物が他の被造物を救うことはできない。私たちを数うことができるのは人となられた神だけである。」という確信だった。彼はキリストが神さまでなければ私たちは救われないと訴えた。その結果、325年にニケイア公会議が開催され、アリウスの教えは斥(しりぞ)けられ、アタナシウスの主張が認められたわけだ。
アリウスの教えは三位一体を否定するエホバの証人の教えと瓜二つですね。エホバの証人ではキリストがしてくださったことは不完全で、救われるために私たちがするべきことがある、だからエホバの証人の人たちもほんとうには救いに確信を持てないままですね。二人の対決は今でも続いているように思います。
実は二人の戦いはニケイア公会議の時点でも決着がつかなかった。教会全体として結論が出るまでには数十年かかっている。このへんのことは次回にしようか。