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甲府キリスト教会としての第一歩を踏み出す際の緊張はひとしおでした。路傍での神主の妨害で集った人々はしばらく戸惑った様子でしたが、教会内では老婦人が三人すでに座についておりました。私と富永さんが更に必死になって賛美を歌うのです。タンバリンを叩きながら…。
富永さんはもともと細い声の上に病気上りで、ことさらに弱い声、外からみれば実に貧弱な伝道集会なのです。この時路傍で騒いでいた神主が集っていた人達を引き連れて来て、「今夜は私が説教してやる。皆ついて来なさい」と大威張りで教会に上りこみ、人々を招き入れたのです。物見高い人達は説教を聞くことより興奮しきっている神主と若い(当時二六才)キリスト教の伝道師との成行き如何(いか)んと興味一杯。そうして部屋に上り込み、見すえている人たちは六畳二間に満員です。それのみか、二坪の玄関も人たちで一杯です。
富永さんはもともと細い声の上に病気上りで、ことさらに弱い声、外からみれば実に貧弱な伝道集会なのです。この時路傍で騒いでいた神主が集っていた人達を引き連れて来て、「今夜は私が説教してやる。皆ついて来なさい」と大威張りで教会に上りこみ、人々を招き入れたのです。物見高い人達は説教を聞くことより興奮しきっている神主と若い(当時二六才)キリスト教の伝道師との成行き如何(いか)んと興味一杯。そうして部屋に上り込み、見すえている人たちは六畳二間に満員です。それのみか、二坪の玄関も人たちで一杯です。
教団ニュース・アッセンブリー 1978年11月1日発行 通巻277号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》
『老神主による
殴打事件』
静かな静かな甲府の山の手の町に突如として起こったこの騒ぎ、いつの時代にもある物見高い人々の好奇心をそそるには充分でした。
神主は必死に賛美している私に、「今夜は俺が説教してやるからそこをどけ」と怒りに達した状態で迫るのです。私は「ここは私の責任です。この御用のために甲府にきました。誰にも譲れません」と申しますと、この神主は怒り頂天に達し口汚くののしり、最低の悪口をはき散らしながら「この女は国賊だ、こうして呉(く)れる」と言いながら突然私の頭を往復平手打ちで叩きのめすのでした。
囲りの人たちは驚きのあまり声さえ出さずオロオロするばかり、前に座っている三人の老母は泣いている。富永さんはアゼンとして途方にくれている。私は物心ついた時から親にも他人からもこれまでに打たれたことを知りませんでした。しかしこの時神主からの殴打を受けながらも、私は感謝がこみあげてくるのでした。一瞬私の心に神のみ言葉が響いてきたのです。
「使徒たちは聖名のために恥を加えられるに足る者とされることを喜び」(使徒五・四一)。
神主は必死に賛美している私に、「今夜は俺が説教してやるからそこをどけ」と怒りに達した状態で迫るのです。私は「ここは私の責任です。この御用のために甲府にきました。誰にも譲れません」と申しますと、この神主は怒り頂天に達し口汚くののしり、最低の悪口をはき散らしながら「この女は国賊だ、こうして呉(く)れる」と言いながら突然私の頭を往復平手打ちで叩きのめすのでした。
囲りの人たちは驚きのあまり声さえ出さずオロオロするばかり、前に座っている三人の老母は泣いている。富永さんはアゼンとして途方にくれている。私は物心ついた時から親にも他人からもこれまでに打たれたことを知りませんでした。しかしこの時神主からの殴打を受けながらも、私は感謝がこみあげてくるのでした。一瞬私の心に神のみ言葉が響いてきたのです。
「使徒たちは聖名のために恥を加えられるに足る者とされることを喜び」(使徒五・四一)。
このみ言葉は私を感動させ、強め、かつ喜びにあふれしめ、打たれていることも人前も忘れて両手を挙げて大声で主に感謝し始めたのです。今このできごとを思い返しても感激で心が震えてきます。我らの主は生ける神だ。
神主はこの私の態度を見て更に怒りに怒り「この気違いアマめ」と叫びながら、私の頭を両手でもってテーブルの角に二度、三度と打ちつけるのです。
しかし不思議に私は痛くもなければ恐しくもない。聖霊は私の心に励ましを与えていて下さったのです。神はこの無暴な振舞を許してはおきません。彼は引続き居並ぶ人々に向って「この国賊を訴えてやる」と言いながら外にとび出し、交番に駆けこんだのですが、取り上げてくれなかったのです。なぜなら私は始めての場所で路傍伝道なり屋内集会を開くのですから、まず交番に届けておきました。そして働きの内容を説明し、トラクトを差しあげて理解をしてもらっていましたので警官はよく知っていて下さったのです。騒ぎが静まっても帰ろうとしないこの人たちを見て、今こそ神の与えてくださった福音を語る時だと思い、時計は八時半をすぎていたが聖霊に助けられて集会を始めました。
生ける神、そして人の罪について説きました。人々は身動きもせず聞いていました。誠に神はこの所に働いていて下さいました。この集会で前の座にいた三人の老母たちが引続いて集会に出席をして、遂に救を体験して実に忠実に主に仕える信者になりました。
神主はこの私の態度を見て更に怒りに怒り「この気違いアマめ」と叫びながら、私の頭を両手でもってテーブルの角に二度、三度と打ちつけるのです。
しかし不思議に私は痛くもなければ恐しくもない。聖霊は私の心に励ましを与えていて下さったのです。神はこの無暴な振舞を許してはおきません。彼は引続き居並ぶ人々に向って「この国賊を訴えてやる」と言いながら外にとび出し、交番に駆けこんだのですが、取り上げてくれなかったのです。なぜなら私は始めての場所で路傍伝道なり屋内集会を開くのですから、まず交番に届けておきました。そして働きの内容を説明し、トラクトを差しあげて理解をしてもらっていましたので警官はよく知っていて下さったのです。騒ぎが静まっても帰ろうとしないこの人たちを見て、今こそ神の与えてくださった福音を語る時だと思い、時計は八時半をすぎていたが聖霊に助けられて集会を始めました。
生ける神、そして人の罪について説きました。人々は身動きもせず聞いていました。誠に神はこの所に働いていて下さいました。この集会で前の座にいた三人の老母たちが引続いて集会に出席をして、遂に救を体験して実に忠実に主に仕える信者になりました。
気の毒なのは神主でした。なぜなら狂った人のようになって自分の娘と同じ年頃の私に、キリスト教の伝道師である故に乱暴な振舞を神主である立場も忘れて、氏子の前で行ってしまったからです。このでき事はどんなに神主の信用を落したことかしれません。
問題のあった翌日警官が教会に来まして「昨晩は大変でしたそうで、今様子を近所からよく聞きました。あなたは彼を訴えなさい。第一に家に侵入した事、第二に仕事を妨げた事、第三に理由なくして暴力をふるまった事。これは許せない罪です。訴えなさい」と非常に同情の態度で教えてくれました。
それで「私はあの神主を全く知リません。ただ私がキリスト教の伝道者であるというこの理由だけで暴言暴力を加えたのですが、しかし本当は生けるキリストに対して行った腕力ざたですから、私としては訴えるなど考えてもいません」と話しましたところ、この讐官は何を感じたのか感動の様子充分で言いました。
「はあ!、キリスト教とはそういうものですか、以後どんな事があっても交番にきて下さい。相談にのりますよ」と言って帰りました。
ところがその後、甲府市内のあるメソジスト教会の青年たちは、どこから聞いたかこの小さな開拓教会のできごとにキリストによる同信の群として立ち上り、大勢の若者たちが神主のところに行き「何の理由であの教会で暴力を振ったのか、我らは同じクリスチャンとして黙ってみていられない。今後も同じことをするなら我らは旗を押し立てて、神主の暴力を甲府市民に訴える」と迫りました。 (次号へ)
問題のあった翌日警官が教会に来まして「昨晩は大変でしたそうで、今様子を近所からよく聞きました。あなたは彼を訴えなさい。第一に家に侵入した事、第二に仕事を妨げた事、第三に理由なくして暴力をふるまった事。これは許せない罪です。訴えなさい」と非常に同情の態度で教えてくれました。
それで「私はあの神主を全く知リません。ただ私がキリスト教の伝道者であるというこの理由だけで暴言暴力を加えたのですが、しかし本当は生けるキリストに対して行った腕力ざたですから、私としては訴えるなど考えてもいません」と話しましたところ、この讐官は何を感じたのか感動の様子充分で言いました。
「はあ!、キリスト教とはそういうものですか、以後どんな事があっても交番にきて下さい。相談にのりますよ」と言って帰りました。
ところがその後、甲府市内のあるメソジスト教会の青年たちは、どこから聞いたかこの小さな開拓教会のできごとにキリストによる同信の群として立ち上り、大勢の若者たちが神主のところに行き「何の理由であの教会で暴力を振ったのか、我らは同じクリスチャンとして黙ってみていられない。今後も同じことをするなら我らは旗を押し立てて、神主の暴力を甲府市民に訴える」と迫りました。 (次号へ)
坂本キミ師(1903年~1989年)
第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。