坂本キミ「私の生涯の回想記」(第18回)

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 神様は蒲田教会のために赤津老人を導いて下さいました。この老人は悟りを得るために八年間お寺にて修行をしていた人でしたが何の得る所もなく苦しんでいた時に、蒲田の路傍伝道から導かれて救いを握ったのです。年七十二才でした。



 蒲田の路傍伝道では帽子屋の塚田夫妻、それに赤津老人が救われました。この赤津老人はお寺で修業の苦労を重ねましたが、何かを悟る事にも、得る事にも失敗でした。それがロマ一章二十節の「それ神の見るべからざる永遠の能力と神性とは造られたる物により世の創(はじめ)より悟りえて明かに見るべければ彼ら言ひのがるる術(すべ)なし」、このみことばで神をはっきり知る事が出来たのです。そして御子イエス・キリストを世に遣わされた神の愛のみ心、キリストの十字架の贖(あがな)いの死、甦えらされた神の力を知って赤津老人は救いの喜こびであふれていました。主に対して熱心な御奉仕ぶりは驚くものがありました。





教団ニュース・アッセンブリー 1979年10月1日発行 通巻289号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『蒲田での伝道』

 書道の達人であった赤津老人は、ヨハネ伝三章十六節、十七節を書き上げ、掛け軸に表具されたものは数本にのぼり、ウェングラー先生を通してアメリカにも送られたのです。また親類の若い奥さんを導いて来ました。坂本愛子さんです。その第一児の献児式は弓山先生に司式して頂きました。戦時中故郷の福島に引上げて現在に至り、一年に一度は八王子教会を訪ねて下さいますが、信仰によって強く生きぬいて喜びの生活をおくっておられます。



 また教会に渡辺弥生さんが路傍から導かれて来ました。篠原教会で信仰に導かれた方で熱心に伝道を助けて下さいました。現在は大谷弥生さんとなって八代市のシャロン・キリスト教会に所属して熱心に主にお仕えしている姉妹です。



 ある日小さい手押し車に聖書の分冊を積んで売りに来た老人がありました。お疲れのお様子が見えたので少しお休み下さいと招き入れた時、この人は私を、「都会で女一人で伝道はむづかしい事ですね。それにこんな奥まった家では全く伝道に不利ですね。『しかし伝道者は絶対に自分に同情しては成りませんよ』主を見上げるのです」、などと数々の言葉で励まして下さいました。〈伝道者は絶対に自分に同情しては成りません〉。この言葉は今日も私を励ましている言葉です。神様は自ら選んだ者のためには多くの面を通して常に教え、悟し、助け、導いて下さるのです。




 派出婦人会に務めていた渡辺さんは、派出先のどの家でも主の前に居る心で働く人で、ある時派出先の峰村さんという方の家で働いた時、その主人は渡辺さんがどのような仕事にも喜んで働くのを見て、「貴女(あなた)は何か信仰を持っていますか」と聞かれ、「クリスチャンです」、と話すと、「貴女のようにいつも喜こんでおられる心に感心する。私をその教会に連れて行ってほしい」、と言って教会に来ました。三十七、八才の立派な方でお兄上は熱心な信者との事でした。



 昭和十年頃の蒲田教会の部屋には何一つ飾りらしい物はなく、道具らしい物もないのです。それで私は床の間に、模造紙一枚半をつないでマタイ伝十一章の〈凡(すべ)て労する者 重荷を負う者、我に来れ、我汝らを休ません。我は柔和にして心卑ければ、我が軛(くびき)は易く、我が荷は軽ければなり〉このみ言葉をデカデカと書きたてて張ったのです。我ながら実にまずい字だと頭があがらない、しかしこれは主のみことばだ、生命のある言だ、力があるみことばだ、必要な人に主が用いて下さる、と信じて恥じませんでした。




 峰村兄は教会らしくない教会に驚き、それから床の間に張り出してある御言に驚きました。実に下手な字、だ、こんな字をよくもデカデカと書いて床の間に張ったものよ、と驚いた彼が後日に曰く、その伝道意欲から出る熱心さがかくさせている、と感じたそうです。渡辺姉の他の人にない立派な態度といい、この貧しい教会の女伝道師といい、この所には他にない何かがあると感じたのです。後に峰村兄は信仰をもち教会のための助手となったのです。





 峰村兄は、「こんな奥まった不利な所は教会として不適当だから自分が教会堂を献げます」と言われたのです。彼は特殊な電信技術をもって世界各国に働く人でした。愛する子供を失った直後だったのです。



 教会堂が献げられる感激で一杯でした。早速ウェングラー先生に報告した所、全く反対でした。先生は今までの八王子の会堂は家主に返していたのです。新たに会堂を建て、坂本を蒲田から呼び返して今一度八王子に主の教会を建てる、と計画を建てておられたのです。自分は三鷹に移るつもりで家まで借りであったのです。



 蒲田に越して二年、その二年の中にはあの恐ろしい二・二六事件の大雪の朝の出来ごとは忘れる事は出来ません。今年六月には坂本愛子姉が一夜泊りで訪ねて下さいました。 私の身の廻りを備えて下さった主に従う日々を送っておられる様子を知り、何よりも嬉しく思いました。伝道者のよろこびはこの所にあるのです。八王子に移って後も、佐藤兄の家に週に一度出むいて集会を続けていましたが、戦争という空気が濃く故郷に引上げる事になり、集会を止める事になってしまいました。赤津老人は府中市の娘の嫁ぎ先に越して八王子教会に出席するようになりました。




坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。