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追分町33番地に建てられた会堂の献堂式の記念写真。
ほとんどが蒲田から祝いに来て下さった信者方です。後列左からマリヤ先生,
赤津老人(前号参考),クレメント先生,伊藤顕栄師の父上。
右端には弓山先生の姿も見えます。
前列左から三番目は,坂本先生,四番目ウェングラー先生。

教団ニュース・アッセンブリー 1979年11月1日発行 通巻290号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『八王子に帰る』

 昭和十二年ウェングラー先生からお話があり、八王子市追分町三十三番地に教会堂を建てる事になり、ご自分は都下三鷹町に家を借り引越しますので、私は蒲田から八王子に移る事になりました。会堂が出来上るまでは追分町二十番地のウェングラー先生の住んでおられた家に住む事に定められていました。二十番地の近所の人達は皆さん喜んで迎えて下さいました。今度の八王子の働きも全くの開拓でした。ただ違う事はどこに行っても、何屋の店に行っても、「ヤー追分の先生しばらくでした。今度は八王子ですか、異人さんの先生どうしました、」と尋ねて下さり、自分の町の良さがしみじみと感じられました。



 会堂は三ヶ月ばかりで出来上り、三十三番地の新会堂に引越しました。手伝って下さる信者の手が無いという事は何と淋しい事なのでしょう。蒲田の老人達が懐かしくて少しオセンチでした。でも腹を定めて立上ります。神様が一緒です。週に一度は蒲田の佐藤さんのお家で皆さんが集り集会を続けましたので幸いでした。蒲田駅に着くなら信者さんが待っていて下さるのです。その嬉しさ。私の方が慰められるのです。





 八王子は、またまた路傍伝道から、しかし、この頃世間は戦争が始まるかも知れないという噂がもっぱらでした。町には隣組が作られ、何でもが隣組単位になって来ました。ウェングラー先生と私は、この頃、中央線に在る町から村へと伝道を始めました。週に一回先生は、三鷹から汽車でおいでになり、八王子駅のホームで出合い、相模湖町を中心に村々町々に出かけます。家々にトラクト配布をし、子供が集りますと子供集会、大人が集りますと路傍集会、ウェングラー先生も私も若かったのです。相当の道のりを歩きますが、二人共疲れなど忘れています。恵まれていたのです。毎日が生かされているという感激で一杯でした。



 昭和十五年の秋、神奈川県吉野村に入った時、家並の揃った村の中心に来ますと、大勢の婦人方がモンペをはいて防空ズキンをかむり、青竹のヤリとバケツで物ものしく防空演習の最中でした。その中に指揮している在郷軍人が大勢、ザワザワ、ガヤガヤの大騒ぎ(この頃は防空演習といえど、まだ人々の心には運動会気分が多分にあった)、そこヘ見なれない青い目の外人が来たので人々は先生を取りかこんでしまったのです。



 大勢の人々が居るので、先生はすっかり喜んで、早速トラクトを人びとに配り始めました。「神様のこと書いてあります。読んで下さい。」この頃、どこに行っても町に村に張り出してあるのは、[スパイに御用心]と書いた張紙です。このような中に青い目の外人です、でも婦人方は先生の優しい人柄に打れたように皆さんニコニコしてトラクトを項いていました。




 しかし消防団員や村の駐在巡査、防空訓練の団長などが意気込んでやって来ました。巡査は物も言わず私達を駐在所に連れ込みました。黒布で張りめぐらした窓、あまり広くもない内部は黒布で二重に区切られていてその一番奥に連れて行かれました。それから調べ出したのです。どこから来た、何時の汽車で来たか、どこからどこを歩いたか、何をくばったか、目的は何か、全くスパイあつかいです。先生はと見れば無邪気と言っていい程ニコニコ面白そうです。私が小さい声で、「先生、あれ出しなさいよ」と言えば、モーちょっとね(あれとは身分証明書)、いかにも楽しそう。





 最後に先生は、「私はこれ持っています」と証明書を見せますと、巡査から団長から消防団員まで、驚いて「ヤー済みませんでした失礼しました」と詫びました。その後で巡査が自分で近くの景色のすばらしい川に案内して下さいました。後で先生日く、「日本のポリス無邪気ですね」ですって。



 この日、路傍伝道は出来ませんでしたが、大勢の人達にトラクトが配れました。
 「神様の事 書いてあります、まことの神様の事読んで下さい。」
 あまり上手とは云えない日本語で熱心におすすめするウェングラー先生のお姿は、今も私の心に焼き付いています。



 日増に戦争の噂が強くなる中を、先生は主の前に立ち、三鷹でも近所の奥さん達に呼びかけて、女だけの集会を続けて、恵まれていました。どのような最悪の状態の中にあっても常に神の道があります、安全な細い道が、光が差し込んでいる道が、広がっておるとは実に幸いなことです。




坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。