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教団ニュース・アッセンブリー 1980年1月1日発行 通巻292号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『スパイの嫌疑』

 昭和十八年世相は増々厳しくて来ました毎日追いつめられている思いです



 男達にはあの人にもこの人にも赤紙が来ています表面はおめでとう男冥利に尽きとか祖国の鬼となて国を守りますとか言ているので旗をふて町内の人達に送られてて来るぞと勇ましなどと歌いながら行くので後の家族のみじめさを考えて下さい親が妻が子供がのみじめさは想像にあまりあるものです外に向つての笑顔も遠慮する有様です人びとの心のイラダチは目に見えるようです





 神様はこのような時に警察の特高の警部の心に働いてメリカ婦人が一人で暮すのは危ない世間の人々が殺気立いるからとい京王線の桜上水に住むアメリカ人の老婦人(宣教師)の大きな家に四人の宣教師を集めて下さたのです
 いよいよ三鷹を引越す朝時としては全く珍らしいトラクを警部は運転して私たちの立合いの上で荷物を全部つみ込みましたそしてトラクが出発した後警部は自分で家主に出向きングラ丨さんはこの所に居るのは不利なので警察が立会いの上で他に引越しました家はお返ししますと言て下さたのです私は共に居て心から深く感じさせられました
 神様は神にのみ望みをかけているウングラ丨先生のために警察の人の心に働いてこんな親切をして下さたのです
 実はこの家主はングラ丨先生を敵国人だと憎んで立川憲兵隊に密告したのでングラ丨先生がスパイでその手先に八王子に住む坂本という女がいるそして絶えず呼びよせては話し合いをしている密告したので早速八王子追分町の教会を調べようとした所女一人の暮しにしては立派すぎる(実はカ丨テンからテ丨ブル椅子まングラ丨先生の備えて下さた品々)と疑いだし二人の憲兵は私の行動また教会に出入りする人達を調べだし町内中の人達にも坂本の行動について知る事は聞かせてほしいときき込みに熱心だたようです追分町の人達は郵便局長はじめ有志の人々までングラ丨先生と坂本さんについて皆さんが安心して信用していましたと後で憲兵が話してくれました
 この憲兵の調査は幾ヶ月も続いたのです最後にある暑い夏の午後教会に憲兵は二人で来るなり部屋に上り込み(少し聞くことがある答えてほしい)と言一人は黙て坐り込み一人はメモを見ながら何月何日風呂敷包みをかかえて西八王子駅から乗り出したがどこに行たか何を持ち出したか調べるのです一時間以上もメモを見ながら調べましたがよくぞこんなにまで細かく調べたよくぞ私を尾行して調べたものだ全く驚きました二人の追及は実にきびしいものです
 この憲兵は二度教会に来て私を調べました神様は助けて下さいました憎しみから出た密告に人は動かされても神様のみ手の力は戦時中にこの世での最強の権力を誇ていた憲兵の力さえも押える事が出来たので
 昭和二十年八月一日夜八王子教会は戦火で焼け落ちてしまいました小さかた当時の八王子は東西南北六キロの町が一夜にして一望に見渡せる焼土と化してしまたのです 八月十五日忘れられない終戦の報らせ今までの張り切た体がくずれ落ちた思いは私だけではなかたようですしかしこれからこの時だ聖名によて立ち上るのだ今までに語り続けた福音の真実さを人々の心に迫て頂く時と教えられ私の心に希望が広がてまいりました八月十八日ウングラ丨先生が焼けた教会跡にまいりました
 これ以上にやせられない程になり着ている服はブクブクで一目で御苦労が痛い程にわかりました生は今日外出が許されたので八王子に飛んで来て下たのです玄米を煮て作たご飯にナスの炊でたものを私のために持て来て下さいました 御自分のためには持ていないのです先生のお心づくしで私はもう一杯の心でした先生はアメリカヘ帰る道がつき次第に米軍の飛行機で帰国するが必ず日本にて来ますから待ているようにとの事でお互いの無事であた事を感謝しあてお別れしたので
 それから五年バラクの生活と食糧難に追いつめられたのです川崎にて戦災に会た年老いた父親と共々にさながらケリテ川のエリヤのごとくに必要だけは常に与えられていたのです神からの助け励ましによ心が豊かに満たされ貧しさを貧しさとせず過ごしてこられたのです


坂本先生の私の回想記今回をもて終りま



坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。

《次回は、坂本キミ先生の召天記事をご紹介します》