振り返れば
そこに
主の恵み

 栄養士から見た

 心と体の健康 Vol.1

月刊アッセンブリーNEWS 2014年2月1日号より

汐澤美紀 Miki Shiozawa
八王子シャロン教会

私たちにとって「食」の問題は、とても大切な問題で す。栄養士というご専門の立場から、私たちクリスチャンにとっての「食の問題」をシリーズで、お話しいただきます。ご期待ください。なお、筆者は教団の教師でもあります。

 

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)

 このことばはイエス様が悪魔の誘惑に対し言われた有名な御ことばです。悪魔はパンという言葉を用いて、生理的欲求のみに従えと言っているのですが、イエス様は神に従うということを「パンだけで生きるのではない」という言葉で表わしています。もう一つの大切な事、パン(食べ物)も人が生きるためには必要だということを言いつつ、神に従うことこそ、人が生きる為に必要不可欠なものだと断言しているのです。
 このように、イエス様は食べ物に関連づけて神様の御心を表されていることが多々あります。
 イエス様は日々の食物も大切なことを実感されていたのです。事実、日々の食物がなければ身体を保つ事は出来ません。日々の食物がなければ健康を保つことも出来ません。御ことばも日々の食物もそれが蓄積されていき、信仰の成長、霊的成長、身体の成長、また健康の支えとなるのです。人は御ことばと食物のどちらも必要不可欠なのです。
 聖書の時代と現代の食の違いはその豊かさにあります。しかし、食の豊かさが健康に結び付かず、むしろ、食の豊かさ=不健康になってしまう今日この頃、私たちの生活の中で食事の取り方、日々の食物の質がなおざりになっていないでしょうか?
 イエス様は信仰姿勢において究極の手本を私たちに示してくださいました。実は信仰姿勢のみではなく、良い生活習慣も聖書の中に描かれているのです。健康を保つ為の食事、運動など、バランスの良い生活のヒントも聖書の中、キリストの食生活の中にあるとドン・コルバート医学博士は提唱しています。神様に頂いている私たちの身体を整えるためにも、聖書時代の食生活を知る事が勧められているのです。
 次回より、イエス様の時代の食べ物と現代の食べ物の違い、現在の私たちの健康のために役に立つ食の豆知識などを皆さんにお伝えしたいと思います。その前に、私が自分の意志によってではなく、神の導きによって栄養士の免許を取ったいきさつをお証しさせてください。


 私は牧師家庭で育ちましたが、若い時の信仰心はしなびた野菜の様に生気がないものでした。
 受験の際、苦しい時の神頼みで切実に祈り、志望していた学校には推薦で入学出来たのですが、希望していた学部は落ちてしまいました。唯一開かれた道、それが栄養士養成の学科だったのです。主は「合格」という願いを叶(かな)えてくださったのですが、私の望みは叶えてくれませんでした。この学科が私の苦手な化学・理科系の学びだと知り、合格後に化学の勉強を基礎からやり直して、入学後は実験、実習、レポート、徹夜と灰色の学生生活を送りました。
 卒業後、免許は得たものの違う職業を選び、栄養士の学びは意味のないように思えましたが、振り返れば主の恵み。今、神様はこのスキルを生かしてくださっていることを体験しています。
 御ことばと食のアドバイスの機会が増え、人々が心も身体も健康になり、より主の働きに従事出来るよう祈りつつ、お話をさせていただいております。