礼拝の中の賛美(4)

細井 眞  Makoto Hosoi(十条基督教会)

2000年8月1日発行 第539号

 5月に行われました関東聖会にオーストラリアのシドニーからオーストラリア・アッセンブリーの総理であるブライアン・ヒューストン師と今世界で最も注目を集めている福音歌手のダーリーン・チェック師が来日しました。昨年、私は彼らの属するヒルズ・クリスチャン・ライフ・センターのカンファレンスに参加して、その素晴らしさを直に体験してきましたが、日本での聖会はそれを遥かに越える素晴らしさでした。

 彼らは自分たちが普段やっている礼拝の形式を行いました。初めに、ダーリーン師が30分ぐらい賛美礼拝をリードし、その後にブライアン師が説教をします。招きのところでもう一度、ダーリーン師がでてきて賛美で会衆を整えます。そして、ブライアン師が招き、さらに決心を募ります。それは大変麗しい姿でした。なぜそのように素晴らしかったのでしょうか?

 第一に、ワーシップ・リーダーが謙遜に牧師に仕えている点です。 ワーシップ・リーダーの務めは謙遜に仕えることです。神に仕え、神の器に仕えるのです。私たちの中で、もし自分が優秀だからこの務めに選ばれていると考えている人がいるとするならば、それは間違いです。もちろん楽器を演奏することができる、歌うことができると言うことは重要です。しかし、上手であると言うだけでは賛美奉仕の邪魔になることはあっても、助けになることはできません。私はたびたび彼女の口から、「私は流行歌手ではありません。私は礼拝担当の牧師です。」と言うことばを聞きました。実際に彼女は舞台上でも舞台を下りても、自分が世界中を駆け回る歌い手であると言うことを感じさせない優しさと気さくな雰囲気を持っていました。また、舞台上では、牧師がリクエストがあるときには、必ず、前に出て賛美を捧げていました。私は「彼女ののどが疲れてきているなー。」「低い音が出しづらそうだなー。」と何度か思いました。しかし、彼女は手を抜くことなく、懸命に賛美し、熱心に語り、情熱を傾けて祈っていました。普通の流行歌手であったら、歌は上手に歌ったとしても、ほどほどに語り、簡単に祈るだけで処理してしまったところです。もちろんキャンセルしてもおかしくない状況にあったのですが、彼女はやり通してしまいました。それは信念というか、神に対する決意のようなものさえ感じました。

 もう一つの素晴らしさは牧師とワーシップ・リーダーの関係が非常に良いということです。互いにその必要と役割をハッキリと認識しているからです。説教後、招きの時、ブライアン師は、ダーリーン師に頼っているようにさえ見えました。賛美が人のかたくなな心を柔らかくし、神への思いをさらに深めるものであることを知っている証拠です。同様にダーリーン師もそのことを知っているので、たとえ自分の体調やのどの調子が悪くても牧師のリクエストに応えようと努めているのです。まさに犠牲を払って、一致して主のために働いているのです。彼らのチーム・ワークから主の臨在の麗しさが輝き出ていました。