信徒のための伝道の神学 No.1

「誰でも伝道はできる」という信念に立って教会形成を実践してこられた、その道のベテラン久保田 潔師に、
「伝道の神学」を6回にわたり、ご執筆いただきます。

月刊アッセンブリーNEWS 2018年1月1日号より

杉田キリスト教会(神奈川県)久保田 潔 Kiyoshi Kubota

聖書の言葉

「神はそのひとり子を賜たまわったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネによる福音書3章16節)

 私達は誰もがその人生の中で、他者から聞いた言葉に大きく影響を受ける事があります。

 私にとっては、伝道者の駆け出しの頃、日本の教会と牧師達のために来日した韓国の崔子実(チェジャシル)師[ヨイド教会の趙鏞基(チョーヨンギ) 師の義母]の案内を担当した折り、ある食事の時か歩行中だったか、先生が私の肩に手を置いて“久保田先生、私達が救われたのは、救うためですよ”と言われた言葉を忘れる事が出来ません。

 私達はもし誰かから“キリスト教の神はどのような神か?”と問われたら、上記の聖句から“神は愛の神です”と答えるでしょう。聖書は全巻にわたって神の愛が源となって神の愛の御業(みわざ)が語られ、全ては神の愛から発出されていることが強調されています。

 では、神は誰を愛するのか、何故 愛なのか、と問われたら何と答えるでしょうか? 
 聖書は、神の愛の対象は常に人間であり、人間が御子キリストを信じて神の救いにあずかるために愛を現わされた、と述べています。しかも「ひとりも滅びないで」、すなわち、全ての人間が救われる事を神は願っておられるということです。(Ⅱペテロ 3:9)

 人間が永遠の滅びの場所に至らないために、神は御子キリストを人間としてこの世に降(くだ)し、これを人間の身代わりとして十字架に架(か) けて、罪からの贖(あがな)いを完成されたと宣言されます。端的に言えば、キリストを信じる者は永遠の命を得、信じない者は永遠の滅びに至るということです。

 私が信徒になってこの聖書の真理を知った時、それなら何としてもまず家族を救いに導かねばならない、他人は後回(あとまわ)しだと考えて、懸命に家族に伝道しました。まず次弟、兄、末弟、妹と、次々に教会の礼拝会に誘いました。その結果、皆救われて洗礼を受けました。

 一番難関だったのは父親で、いくら伝道しても跳(は)ね返されましたが、長期間の祈りが実を結び、ある時、父親の方から突然“今度の日曜日教会に行ってもよい”と言ってきた時には動転しました。しかし、出席した礼拝会の説教者はS 教会のI 牧師で、説教テーマは「再臨」でした。これはもうだめだと失望しましたが、驚いた事に、説教後I 師が決心者を募(つの)り始めたのです。私は思わず父親を外に連れ出そうかと考えて横を向くと、なんと父親が手を挙げていたのです。それが父親の信仰の第一歩となりました。父親は私の開拓伝道をしばらく助け、今は天で安らいでいます。末弟も私と教会に住んでいろいろ手助けをしてくれていましたが、今は天に召され、次弟は大阪で牧師をしています。その後、与えられた3人の子供達が信仰を持っている事は、牧師として余念無く伝道に励む力となっています。

 上記の聖言(みことば)は、私達から始まった「神の愛」が私達の家族・関係者に及び、彼らを「永遠の滅び」から救い出す事が究極(きゅうきょく)の目的である事を語っています。
家族の肉体的な健康のために祈る事以上に、霊的な救いのために祈りつつ、福音を語る事を大切にしましょう。

 “自分だけ天国にもぐり込もうとしてはいけない”(崔子実)