祈りのコラム (13)

「祖国日本に
 リバイバルを願って」

 日本のクリスチャンだけではなく、諸外国のクリスチャンたちも、日本のリバイバルを熱心に祈っていて下さる昨今です。また、ひたすらただその一事を願って天に召されていった多くの聖徒たちがいます。頂度へブル人への手紙11章39節のみ言葉にあるようにです。

月刊アッセンブリーNEWS
1992年5月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「祖国日本にリバイバルを願って」

 ではそうした願いを持ち、祈り続けたことは、否現在も互いが懸命に故人たちのように祈り続けている事が無駄なのでしょうか。決してそうでないと信じています。むしろ神は多くの人々にその重荷を与えて祈らせているのです。エレミヤ20章9節に、「もしわたしが、『主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない』と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押さえるのに疲れはてて、耐えることができません。」と言ったように、わたしたちも燃える思いを常に持ち続けさせていただくように祈りましょう。

 一つの文化の質的人口の2パーセントが新しいビジョンをいだくときに、変化のきざしを見せ始めると一般的に言われています。ストットは、「日本においてキリスト教徒の数は1パーセントに満たないと言われる。もちろん2パーセント以上に達する国の数は少なくない。そうだとすれば、我々にも伝道及び社会活動を通して、神の栄光が現わされるように、社会に法外の影響を及ぼすことはできなくはないのだ。我々がしらけの気分にひたっていてよい理由はどこにもないのである。まず日本の教会が今より質的、量的にさらに成長する事を願い続けましょう。」

 エーリヒ・ザウアーの言葉、「わたしたちキリスト信者がほんとうに目覚めないで、どうして信仰のない者が目覚めることができよう。わたしたち自身が『燃え』ないで、どうして『火』が燃えあがろう。わたしたち自身がほんとうに、『生命』によって満たされないで、どうして生命のあるものが生まれよう」わたしは聖書のみ言葉とこの言葉に励まされている今日この頃です。

《執筆者》

渡辺 喜平

駿河キリスト教会

1992年5月引退