《福音》恵みのおとずれ 1994年7月号

 えもいわれぬ美しさに、時のたつのも忘れて、うっとりすることって、あるものなんですねぇ。

 ハス寺で名高い、東京は町田市の円林寺で、しっとりとした桃色の、大きなハスの花を見たときの実感です。このハスは、2000年前のタネから、大賀一郎博士がみごとに咲かせた、いわゆる大賀ハス。一面に気品をただよわせています。


 ひとりの転校生がいました。小学2年生です。同級生にさんざんいじめられ、やることなすことばかにされました。

 図画の時間のことです。立川先生は、好きなものを自由に描け、といいました。みんないっせいに描きはじめました。その転校生も、色鉛筆が折れるほど力を入れ、ぬった色を指につばきをつけてこすったりして、手が色で染まるほど一生懸命とりくみました。

 先生は、できあがった画を一枚一枚黒板に貼って、みんなに感想をいわせました。転校生の画だけは、ただげらげら笑われるだけです。

 しかし、立川先生は笑うみんなをにらみつけ、これは最高だ、特に指につばきをつけてこすったところがいい、とほめました。おまけに、その画に赤インキで大きな三重丸を書きました。

 それからというもの、少年は図画の時間が待ち遠しくなり、学校もいやでなくなります。画を描くのが好きになりました。実際、描くのが本当にうまくなりました。と同時に、他の学科もできるようになり、まもなく級長になります。

 少年は成長して、映画の監督になりました。

 初期の作品「素晴らしき日曜日」が7月に封切られた、ある映画館でのことです。映画が終って、客はみんな立ち上がりましたが、すわったまま泣いている老人が一人います。あの立川先生でした。

 映画のタイトルの、監督・黒澤明という字を読んだときから、スクリーンがぼやけて、よく見えなくなった、という立川先生の葉書を受けとったかつての黒澤少年。25年ぶりに再会した先生を見つめているうちに、小さくなった先生の顔がぼやけて、よく見えなくなってしまいました。

 巨匠の自伝「がまの油」にはじーんときました。

 小さな私にとって、大きな人生の師はイエス・キリスト。ハスの花を内に秘めた一粒のタネのようなそのことばに、どんなに励まされてきたことでしょう。

文・菊山和夫

文・渋沢清子