《福音》恵みのおとずれ 1994年8月号
英国の緑濃い田園風景。
古都オックスフォードの、静かなたたずまい。
そして、水辺に憩う2人の語らい。
大きなバスケットには、とりたての、みずみずしいイチゴがいっぱいです。
「幸せかい?」
「ええ」
「どんなふうに?」
「ただ幸せなだけ」
そう、彼女は、日ざしにも、イチゴにも、彼といっしょにいられることにも幸せを感じるし、なによりも、こうして生きていられることが幸せなの、と言うつもりでした。
「永遠の愛に生きて」を見て、その美しさ、哀しさに、何度も熱いものがこみあげてきました。
これは、わが国でも親しまれている童話「ナルニヤ国物語」で有名な作家C.S.ルイス自身の愛の苦悩を描いた、実話を映画化したものです。
聖書のすばらしさ、神の愛の深さを説いていた英国紳士のルイス。しかし、50をすぎて、初めて現実の愛に出会ったとき、とまどいます。
でも、痛みのともなった愛のきずなによって、ルイスは、さらに深く、永遠の愛に生きる者となります。
それにしても、ルイスとアメリカ女性ジョイとの、なんという、まぶしい出会いでしょうか。
イチゴで思い出すのは、65歳で洗礼を受け、3年前に93歳で天国に召された母の口ぐせです。
「いま水菓子をだすからね」
といいながら、兄の家にいた母は、たまに会いにいく私に、よくフルーツを出してくれました。
水菓子、みずがし。
じつに、いい響きです。和菓子と区別して、果物類を水菓子というようになったのは、江戸時代からなんですってね。そこで、あの俵万智さんの「サラダ記念日」をまねて、拙詠を一首。
水菓子をさあおたべよと母のいふ
香るメロンのみずみずしさよ
よく冷えた甘いスイカも、最高ですね。つい叫んでしまいます。うまい!これぞ水菓子の横綱!
文・渋沢清子