《福音》恵みのおとずれ 1994年 9月号
サンマの季節になりました。
好きな人には、たまらない庶民の味でしょう。
むかしは好きになれなかった私も、ある時からがぜんサンマ党になりました。
いまから15年以上も前のことです。はじめて韓国へ行きました。わずか一週間たらずの旅行でしたが、帰るころには日本茶と日本食が恋しくて、もうガマンの限界に達していました。
帰宅した日の晩ごはんに、家内が用意してくれたのがサンマ二匹です。
おぜんに、焼きたてのサンマが置かれました。じりじり音を立てて、油がにじみ出ています。
ハシをつける前に、一瞬、ゴクンと、なまつばを飲みこみましたねぇ。それまで嫌いだったことなどすっかり忘れて、頭からガツガツ、モリモリ、アッというまに二匹を、骨もハラワタも残さず、きれいに平らげてしまいました。
いやもう、そのうまいの、なんのって、思わず落語の殿様気分になって、サンマは目黒に限る!なんて叫んでしまいましてねぇ。あの時のお茶とサンマの味、今でも忘れられません。小津安二郎監督の「秋刀魚の味」という映画がありましたが、なぜこの題名なのか、わかりましたよ。
ところで、近ごろ「サンマがなくなった、サンマがほしい」という声を耳にします。
魚のことではありません。空間、時間、仲間の三つの間をサンマというのでしょう。「すきま、ひま、なかま」の三ま(サンマ)といってもいいかもしれません。
のびのびした空間、ゆったりした時間、豊かな人間関係。このサンマ、ほんとうに少なくなりましたよね。このままでは、息がつまりそうです。
でも、多くの方がこのサンマを教会の中に見い出しています。教会をこころのふるさとにして30数年。私もこれだけは自信をもって言えます。
「目に見える空間はたっぷりないかもしれませんが、ホッとして自分をとりもどせる空間と時間のゆとりがあります。仲間もできます。サンマは目黒……いや、教会に限ります。」
文・渋沢清子