《福音》恵みのおとずれ 1994年 11月号
小生の住んでいる大船から東海道線で三つ目のところに茅ヶ崎の駅があります。この町に、将棋の木村義雄十四世名人が居を構えていました。
木村少年は関根金次郎十三世名人に弟子入りしました。関根は関西の坂田三吉を迎え撃った大名人。映画「王将」では、坂田三吉役の板妻こと板東妻三郎の演技もさることながら、関根名人役の滝沢修も忘れられません。風格がありました。
さて、木村はめきめき実力をつけ、師の関根をしのぐまでになります。
ある時、関根と木村の記念対局が行われました。ハンディをつけた駒落ち戦ではなく、平手戦です。先手の木村は中盤で早くも勝勢でした。長考する関根。ここで、木村は連日の疲れが出たのか、思わずアクビをしてしまったのです。
「木村ッ!」
関根は大きな声で叱りつけました。
「おまえは、なぜアクビをする。勝敗はもう、わかっている。わしは、どう形をつくるか、それを考えているのだぞ」
一瞬の気のゆるみでした。木村は心から師に詫び、自ら深く訓戒せられるところを感じました。
木村は69歳の坂田三吉にも勝っています。
「坂田」といえば、碁界にも「カミソリ坂田」と恐れられた坂田栄男がいます。碁の坂田は遊びの効用を認め、よく「遊びはものごとを見る目を養い、人間的な幅を与える」といってますが、坂田三吉は将棋だけに命をかけて木村に挑みました。
第11期名人戦で47歳の木村は29歳の大山に敗れ
ました。木村は「よき後継者を得た」と語って名
人の座をゆずりました。さわやかな引き際です。
八年前(注:本稿発刊1994年の八年前)の11月17日、木村義雄は81歳の生涯をとじました。ご夫人がクリスチャンでした。木村は
死の直前にキリストを信じ、茅ヶ崎平和教会の牧
師から洗礼を受けました。ちなみに、11月17日は
「将棋の日」です。しかも将棋盤のマス目9×9
から盤寿といわれる81歳で天に召されるとは、実
にあざやかな人生の引き際でした。
天国に行ったら、木村先生に手ほどきをしても
らいたい —— これが小生のひそかな願いです。
文・渋沢清子