《福音》恵みのおとずれ 2000年 7月号

 妻の祖父の葬儀に参列した時の話です。葬儀の終盤、棺の中の故人とお別れをし、これから火葬場に移動しようという時に、一人の女の子がおじさんの手を引っ張って「つれていったらだめ、残されたおばあちゃんがかわいそうだから。」と一生懸命お願いしていたのです。その素直な心に感動させられました。

 大人になると素直さや信じる心が失われやすくなります。実力主義の現代社会にあっては、ますます大切なものが見失われていくように感じます。

 イエス・キリストの生活しておられた約2000年前は、子どもたちの人数も一人を一人として数えないような時代でした。能力的に社会に役立つ者だけが大切にされるというような時代でもありました。このようなことは現代でも当てはまる部分があるかもしれません。

 イエス・キリストの弟子たちは、イエスのところに近寄ってきた子どもたちを叱って帰そうとしました。その時イエス・キリストは教えられました。

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決して、そこにはいることはできません」
  (ルカの福音書18章17節)


 私たちの教会では子どもたちのために集会を行っています。その集会での聖書のお話の中で、「悪い心があると地獄に行きます。しかし、悪い事をしたことをあやまってイエス様が十字架にかかって死んでくださったこと、よみがえったことを信じるなら、天国に行けます。みんなはイエス様を信じますか。信じるお友達は手をあげてください」と言うと、ほとんどの子どもたちが手をあげるのです。しかし、それが中学生、高校生、大学生、社会人になると信仰を決心する人は少なくなります。

 人は賢くなり、自分が何でもできるようになると、神様が必要なくなってしまうのでしょうか。神様は私たちに、空気も水も心要なものを与えてくださっています。この神様に頼らなければ人は生きていけないのです。

 今は信じることが難しい時代です。「信じる者は救われる。」ではなく、信じる者がバカをみる時代です。悪徳商売がはやり、悪徳宗教がたくさんあります。

 日曜学校の男の子の話です。彼の父親は50代で、仕事をする意欲が全くありません。母親は恋人ができて行方不明、結局、その子は児童施設に行くことになりました。その男の子が外出許可をもらって私と一緒に以前住んでいた自分の家の近くを散歩していた時です。彼の家にはもちろん両親はいません。しかし、なんと彼の飼っていた犬が彼をずっと待っていたのです。彼は泣きながらその犬を抱きしめていました。

 最近の極悪化していくニュースを見ると人を信頼することが本当に難しく思います。なぜ、殺人や犯罪が多発するのでしょうか。人はなぜ、そのようなことを行うのでしょうか。それは、「罪があるからです。」と聖書は教えています。犯罪を犯すから罪人ではなく、人間は罪人だから罪を犯すのです。人類に悲惨な数多くの事件が起こるようになったのは人類が神様にそむいているからなのです。


 旧約聖書の中に

  「女が自分の乳飲み子を忘れようか。…たとい女たちが忘れてもこのわたしは忘れない。
   (イザヤ書49章15節

 とあります。神様はあなたを待っています。是非あなたの手に聖書をとり、イエス・キリストが救い主かどうか確認してください。そして子どものように素直に信じてください。

文・安東 聖樹