《福音》恵みのおとずれ 1998年 3月号
人は誰でも幸福を求めています。恐らく幸福を求めていない人はいないでしょう。なのに多くの人々は幸福を感じないで不平、不満の毎日を過ごしています。しかし、そんなあなたにも、幸福な人生を送ることができます。
でも、それが間違った方法であったり、考えでは一時的に幸福を得たように思っても、結局は、すべてを失うことになります。
私の近所に30代の婦人がいました。貧しいながらも夫と共に一生懸命に働いて、自分たちの工場を持つ事を念願としていました。それが幸せと信じていたのです。夫婦は必死に努力し、自分たちの工場を持つ事ができました。これから幸せになれると思った矢先に、信じて共に苦労して来た夫が浮気をし、仕事もままならなくなったのです。悩み疲れはてた婦人は、自殺してしまいました。
こうなればとか、あれがあれば幸福になれると考えている人々には、それが手に入らなかったり、失われたりしたら、生きている事自体が何の意味もなくなってしまうのです。
多くの人々は、衣食住を始めとして、いろいろな物を持つ事や、目に見える環境に幸福が有ると考えています。確かに物は必要ですし、生活を便利にはしてくれます。しかしそれが必ずしも幸福にするわけではありません。なぜなら、人が幸福であるのは心の充足にあるからです。では、どこに人の心を満たす本当の幸せがあるのでしょうか。
実は、本当の幸福は、私たちを造られた神様なしには考える事はできません。私たちは神のうちに生かされ、存在しているのです。ですから、私たちを生かして下さる神様との関係なしに幸福な人生を送る事はできないのです。哲学者パスカルは「人には神以外に決してうずめることのできない心の空白がある」と言いました。神様によって与えられる魂の充足と安心がなければ幸福はあり得ないのです。
しかし、神を知らず遠く離れて過して来た人々に、神に帰る道はあるでしょうか。その答を私たちは聖書の中に見い出す事ができます。そして聖書は、本当の幸福は、イエス・キリストの中に見い出す事ができると言っています。イエス・キリストがあなたの人生の鍵なのです。人は、イエス・キリストによって神に帰ることができるのです。キリストは、神から離れて、さ迷っていて本当の幸福を見い出せないで生きている人々の罪を赦すために十字架にかかり、その身代りの死によって、すべての人々が救われる道を開いて下さいました。そして、キリストは死者の中から甦(よみがえ)られて、今生きておられます。それは、救い主イエス・キリストを信じる者が救われるためです。
あなたが、このキリストを神の救い主として信じ、心に受け入れる時、永遠の幸福をあなた自身のものとすることができるのです。
文・宮下 鶴千代