《福音》恵みのおとずれ 1991年 11月号
まさに収穫の秋、農家は大変忙しい日々を送っています。しかし、そうした労苦も収穫した果実を見たり、穀物の出来具合を見ていると疲れもいやされ、喜びに満たされてきます。
大地に蒔かれた種はその時が来ると必ず実を結んでいきます。自然の法則です。
聖書の中にも次のような文章が記されています。
「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。
どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
(マルコ4:26-29)
人生の秋という言葉があるようにすべての事柄に時が定められています。
「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」(伝道者の書3:2)
豊かな収穫の秋も時の流れの中でその時がやってきます。
神様の造られたこの世界も今や収穫の時となったのです。あなたの人生はどんな収穫を得たでしょうか。
Sさんは最近、教会を尋ねてきました。仕事の上ではリーダー格、とても熱心に働いています。しかし、人間関係に悩んでいました。生きる事に空しさを感じたり、物事が自分の考えるようにはうまくいかないため苦しみました。
そんな中でよく自分の人生をふり返って見るとこれという目的はなく空しさばかりが目につくのです。自分はどこから来て、どこにたどりつこうとしているのか?
しかし、ある日メッセージを通じて、世の終りの出来事を知りました。その時から彼の心は変わり、自分の生きる道を真剣に見つめるようになりました。「天国と地獄」がある。神様の救いと審判があることに気づかされ、もしこのままでいるならば罪を持ったまま、永遠に滅びなければならないことを知ったのです。
いままでは自分の力だけが頼りでした。とても無理をして自己中心の生活を送っていたのです。
自然界を創造された神様は知っていましたが、自分を含めて人間を神様が創造されたことを知ったのは大きな発見です。それだけではなく、わたしのために、いやわたしを含めて全人類の罪の身代りとなって十字架上で死なれた神のみ子、イエス・キリストが救い主であるということさらに不思議なことに3日目にはよみがえられて、今も生きておられる神様であることを聞き、その事を信じました。
Sさんの変り方とこのイエス様の教えを聞いた友人も教会に来るようになったのです。
人生の収穫の秋は神様によって備えられています。今日も天のみ国に入る道は備えられ信じて受け継ぐことができます。しかし信じない者は火の燃える炉に投げ込まれると聖書は告げています。イエスを信じてみ国を受け継ぐものとなってください。
文・布施 勉