巻頭言|月刊アッセンブリー2007年5月号

「教会総会の喜び」

教団理事 高口 喜美男 (川尻キリスト教会)

「また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。」(エペソ4:16)

教会総会を迎えるまでは、議案の検討や作成等、それなりの苦労があります。牧師や諸奉仕担当者はおおわらわです。しかし、教会総会を迎えますと、すべてが喜びに変えられます。

思い返して、未知の地での開拓伝道。情熱とビジョンの背中に張り付くような不安と恐れ。おぼつかない一歩一歩の中で導かれ、救われた方々ともった小人数の教会総会。主にある兄弟姉妹とされた方々と、主の働きのために語り合い、祈りあえる時が与えられた感激を忘れることができません。この喜びは、今も変わることはありません。教会の使命を共に語り合い、聴き合い、祈り合い、共々に「アーメン」に導かれる教会総会は何と幸いな時でしょうか。

牧師には牧師の使命感や専門的視点があり、役員の方々には役員であるからこその見識があります。しかし、多様な信徒の方々が、その立場や境遇の中で気づかれた指摘もまた貴重です。特に、救われて間もない方々の素朴な感性が牧師や長い信仰生活歴をもつ人たちの盲点を補って下さることも少なくありません。また、発言されなくても、話し合いに誠実に耳を傾け、うなづいておられる方々の姿に励まされます。まさに、すべての節々が「分に応じて」結び合わされ、助け合い、主の御旨を求めて用いられているのです。

信徒がからだの節々にたとえて語られることが多いため、その働きが手足といった機能的なものとしてイメージされやすいきらいがあります。たしかに霊的指導者である牧師の手足的奉仕を担って下さることは大変感謝なことですし、教会全体も手足的働きを必要としています。しかし、兄弟姉妹たちは単なる手足ではありません。欠けたるところも少なくない牧師たちの弱さも支えつつ、キリストのからだを建て上げるために様々な奉仕に召された主の器たちです。キリストのみ思いを求めて祈り、思い、考えることにおいて「キリストのからだの肢体」としての分を果たしていただくことこそ、より根本的なご奉仕ではないでしょうか。