巻頭言|月刊アッセンブリー2007年8月号

「野の花のように」

布施 トシ枝 (山形神召キリスト教会)

「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」 (マタイ6:29)

地域の人々に聖書を知って欲しいと願って始めた「お母さんチャペル」でしたが、20年が過ぎました。一握りの救われた婦人たちが、今は仕事場で出会った人や、家族を教会に導いておりますが、連れて来られた娘さんが、CBC(中央聖書神学校)の学生になられました。こんなに小さな集いの中にも、キリストのいのちが流れていて、大輪は咲かせなかったけれども、ひっそりと健気に咲いている野の花のように、神様は「お母さんチャペル」を育てて下さったように感じています。
レプタ銅貨二つを捧げた貧しいやもめの行為が記されていますが(ルカ21:1-4)、涙の祈りや生活のかかった捧物で地方教会を支えておられる方々も少なくないでしょう。しかし、神様は見えないところも知っておられ、最善をもって応えて下さいます。
私たちは選び出されて、キリストのからだの各器官とされました。「私は何の役にも立っていない。」と卑下しないで下さい。あなたも大切なお一人で、もし欠けたら調和がとれなくなります。パウロは「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」と語られています。(1コリント12:22)
小さな伝道者家族を開拓時から30年余り、物心両面で支えられ、天に凱旋されたご婦人を私は知っています。自分の利益を求めず、陰ながら与え尽くされた行為。信仰者として大輪を咲かせるとは、このような姿でありましょう。人は愛されて成長するように、キリストのからだである教会も、弱い部分を補いながら、愛に育まれて建て上げられて行くところに麗しさがあり、共に強められて行くのであります。

神様は私たちを養い、育てて下さっていますから、置かれた所で精一杯、咲かせていただきましょう。野の花のように。