巻頭言|月刊アッセンブリー2007年10月号

「収穫に向かって」

土屋 康 (アッセンブリー新潟キリスト教会)

私が遣わされています新潟では、五月の連休に田植えが始まり、この十月の連休には穂をたわわにならせて収穫が始まります。米どころの越後平野を黄金色に染めた田は、それは見事な光景です。 しかも、稲穂だけではなく多くの果物も収穫されます。 まさに「収穫は多い」 (マタイ9:37) と主が語られたことが実感できる季節です。
当たり前のことですが、収穫のためには必ず種が蒔かれる必要があります。それは、種を蒔けば収穫が約束されるからです。詩篇には収穫の恵みが謳われています。

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」 ( 詩篇126:5~6)

ところで、私たちは魂の収穫のために日々どのように種を蒔いているでしょうか。言い換えますと、それは父なる神様が私たちクリスチャンに託しておられる「福音を満たす」という尊い使命への応答でもあります。福音という種の蒔き方には様々な方法があることでしょう。つい先日、ある方が「一年間祈ってきた方を礼拝に導いてきますので、お交わりを宜しくお願い致します。」と言い、実際に翌週の礼拝にお連れになりました。それは毎日、祈りの種を蒔いた結実です。また、ある方は「毎日一人に一報(福音を伝える)」することを習慣にしていると語っていました。それも種まきです。或いは、訪問の度に心温まる物をお渡しすることを心がけている方もいらっしゃいます。
このように、福音が伝えられるために様々な方法が実践されています。それ故に、主は 「収穫が多い」 と語って下さいますし、さらに 「目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている」 (ヨハネ4:35) と、蒔いた者の苦労が報われることを教えています。まさに刈入れ場は、収穫の恵みを味わう時となります。
神様は誰にでもそのタラントを与えて下さっていますので、<私>にできる種蒔きを見つけ出し、日々怠らず励んでまいりましょう。そして、収穫に向かって喜びつつ、大いに期待して福音の種を蒔いていきたいものです。