巻頭言|月刊アッセンブリー2007年11月号

「希望の神」

教団理事 平松 慶次 (和泉神愛キリスト教会)

人には、生きる力としての希望が必要です。たとえ小さな希望でも、人の心を励まし、時には生きる目標となります。聖書が示している真の神は、私たちにゆるぎない希望を与えて下さると約束しています。
では、その神からの希望を、私たちはどのようにして持つ事ができるのでしょうか?
聖書は、「信仰」によって、その希望が与えられることを教えています。この信仰とは、神に対する私たちの「信仰」です。
ところが私たちは、どんな時にも恐れず、疑わずに、神に対する信仰を持ち続けることができずに、失望します。しかし神は、そのような私たちの弱さを助けて下さり、「聖霊の力」によって、望みにあふれさせて下さるお方です。聖霊は、「助け主」として私達の内に住まわれ、私たちの信仰を強め、さらに、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。」(ヨハネ3:16)という神のゆるぎない愛を、私たちに保証して下さいます。そこに、私たちの希望の源を見出す事ができるのです。
現代社会は、日ごとに悲惨なニュースを伝えています。特に心を痛める事件は、親族殺人の増加です。最も信頼し、愛し合うべき関係が、憎悪する敵対関係に進行して行く事に、恐怖感や、絶望感が私たちの心を襲います。愛し合う家族、信頼する友人、その中で希望を共有し、喜びを分かち合うはずの心の土台が崩壊してしまったのか、何処にも希望を見出せずに生きている多くの人たちに出会います。何一つ希望を持てずに生きる人生ほど、虚しく、孤独で、悲惨な人生はありません。聖書に示された「希望の神」を知らせる事が重大、かつ急務です。クリスチャンである私たちの日々の社会生活を通じて、この良きニュース:「福音」を伝えなければなりません。

「聖書」の神が、私たちに与えて下さった、「信仰」と「聖霊の力」によって、人々が希望に満ちあふれますように、共に祈り励みましょう。