月刊アッセンブリー|巻頭メッセージ 2009年2月

「宣教力UP!!」

氷見キリスト教会 大引毅代史

「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」使徒11:26

氷見市には万葉集で大伴家持が詠った十二町潟という名の湖水がある。そこには毎冬、北から白鳥が飛来し越冬する。美しい白鳥に魅せられて、人々が集まり、友達の輪が広がる。家内は氷見に飛来する白鳥をお世話する「氷見白鳥の会」の代表を務め、多くの人々と交わりを深め、その内、人々は教会に足を向け、クリスマス・パーティーにはおおぜいの人々がその交流をきっかけとして来る。ある人は悩みを打ち明け、ある人は話していると元気になると言う。

宣教力UPとは、一体何であろうか?教会の宣教力UPは結局、キリストの体である教会を形づくるクリスチャン一人一人、私たちの宣教力UPにほかならない。

初代教会のクリスチャンたちは宣教力に溢れたクリスチャンであったことをうかがい知ることが出来る。異邦人伝道の拠点となったアンテオケで初めて、この道の者、弟子たちは人々から「キリスト者」とあだ名されたのである。彼らは「自称キリスト者」ではなく、周りの人々が彼らを「お前たちはキリスト者だ」と言ったのであった。その様に呼ばれるには、彼らの「キリストの者」としての生き方、生活があった。それはキリスト者でない人々とは際だって異なっていた。彼らはたとえ、「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、満ちあふれる喜び・・・・」をもった人々であった。彼らは 「キリストの者」として、キリストに習う者であった。主のみ足の跡に従い、キリストの如く、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する人々であった。そこで、自分たちの内にないものを持つ弟子たちを、「キリスト者」と呼んだのであった。

これこそ教会の宣教力UPの要である。私たちクリスチャンの最高の使命は、キリストのために生き、福音を伝え、人々を主に導き、人々が主を信じて救われることである。そして、福音が人々に届く最善の道は、私たちがどのように知恵があり、才能豊かであるかと言うことではなく、私たちの内にキリストのいのちが溢れているかであり、人々との豊かな交わり、信頼関係を結ぶかにかかっているのである。

信仰と聖霊に満たされ宣教力UP!!