月刊アッセンブリー|巻頭メッセージ 2009年12月

手本を手本として励もう

竹中通雄 (四国教区長/土佐清水キリスト教会)

 クリスマスの時期になると、私は毎年のように、イエス様が、私の罪や汚れを背負い、私の病や痛みを背負い、この世の悪の支配者であるサタンと直談判をして、私を解き放つために、御国の位を捨て去って、この世に来て下さったのだということを思い、大いに感謝しています。この事実は、天の父なる神様のなんという御愛なのでしょう。

若い頃のこと。この父なる神の御愛に感動した私は、「真の愛とは、他人に自分の大切なもの、自分の命をくれてやることだ。」と、自分もイエス様と同じ生き方ができるかのように錯覚し、「私は愛により人のために死ねる。」と、周囲の人々に吹聴(ふいちょう)していました。しかし、このようなことはできるはずが無く、まもなく、イエス様の前に「永遠の命を得るために何をすれば良いか。」問い、イエス様から「持ち物を売り払い、貧しき者に施せ。」と諭されて、泣きながら立ち去った、聖書中の青年と同様に、自分の内には一片の慈愛さえも無いということが露呈され、赤面させられたのが忘れられない。

それだからと言って、私達は、真の愛というものを実行できない者、などと諦あきらめてはならない。神の御愛は、神が人となって馬小屋に誕生されたクリスマスと、私達の罪と汚れの身代わりとなって刑罰を受けて下さった十字架の上に、手本としてクッキリと示されているのです。私達が日常生活において、神が示されている手本を手本として励む時、生まれながらの私達の中には、絶対に存在しない「真の愛」が芽生えるのです。その芽はやがて成長し、生まれながらの私達では、決して体験できなかった愛の交わりが自分達のものになるのです。

この愛の交わりこそ、富んでおられたイエス様が貧しくなって私達の中に住んで下さった最大の目的なのです。

「あなたがたのために貧しくなられた。」(コリⅡ 8:9) イエス様に喜ばれる「愛の勇者」となるために、祈りつつ、神様が示された手本を手本として励もう。