月刊アッセンブリー| 2011年2月号

何を持っていますか?

天野弘昌 (総務局長・草加神召キリスト教会)

 新年も一ヶ月が経過しました。年初の目標、計画やビジョンは、その後いかがでしょうか? 何事も継続するためには、強固な意思や主の助けを求めて祈らないと仲々うまくいかないかもしれません。

昨年、「何か持っている」という発言が一部で注目されました。もしあなたがこれを尋ねられたら、何と答えるでしょうか? S投手のように「仲間です!」でしょうか? それとも「神の家族です」「兄弟姉妹です」「友達です!」…どれも大切な関係です。使徒3章で、ペテロとヨハネはペンテコステの日の聖霊降臨後に、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう」と大胆に発言しました。この「あるもの」とは、something(何か?)ではなく 「What I have」(NIV) なのです。ペテロの「私が持っているもの」と明確に主張するものは、実に強い確信に満ちたものです。それは、以下に示す二つの点です。

生まれつき足のきかない男は、いつものようにいつもの所でその日生きるための施しを漠然と求めていました。しかし次第に、いつもとは違う何かを感じ、飢え渇きが強まったのだと思います。

このテキストで、幾度も使われている「見る」と言う動詞は、大変興味深い使い方がされています。原語では見事にその状況に沿って、使い分けられているのです。当初何げなく見ていた(3:3)男は、徐々に注視し始め、凝視(3:5)していきます。ペテロも期待感と信頼を醸かもし出し、さらに別の視点で彼を見つめて(3:4)います。すなわちこの男に、これからなされる変革と、将来に及ぶであろう主にある可能性をです。

①「ナザレのイエス・キリストの名」(3:6)
全ての名にまさる名、権威ある御名です。どれ程強い確信を持って、行使するか否かが問われているように思えてなりません。ペテロは、鮮やかに主の御業(3:7-8)を起こしたのです。これまでの男の人生を、根底からひっくり返したのです。そしてこの事は多くの人々を驚かせる証あ かし詞となっていきました。(3:10)これが初代教会の権威と力です。

②「いのちの君(源)」(3:15)である方が、常に共にいて下さるのです。
そして全てを教え、思い起こさせて下さいます。(ヨハネ14:16-17、26) 無から有を生み出す、全知全能の主が「もはや私が生きるにあらず、キリストがわが内に生くるなり」とあるように、聖霊ご自身が私達の内に生きて、働いていらっしゃるのです。これ以上の恵みと祝福はありません。ハレルヤー
私達はもっと威風堂々と恐れずに、主と共に立ち向かえるはずです。
ペテロとヨハネのように大胆に、主の証詞をいきましょう!

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