月刊アッセンブリー| 2011年4月号

イースターの朝に!

池原 吉治 (沖縄教区長・沖縄プレイズチャーチ)

 娘と息子が幼い頃、近くのショッピングモールに出かけた際に迷子になった事があります。そんなに広い場所ではないのですぐに見つかりましたが、その時の様子を忘れることができません。二人が手をつなぎ泣きながら歩いている姿、そして私たちを見つけると笑いながら私たちの懐に飛び込んできた姿でした。わずか二、三分の出来事でしたが、愛する存在が目の前から消えた時の不安はどれほどのものだったでしょう。

さて、ヨハネ20:20に「弟子たちは、主を見て喜んだ。」と記されています。

この個所は、十字架にかかり死んだイエス様が三日目によみがえり弟子たちに現れて下さったシーンです。いつも傍にいて恵みと愛と慰めで包み、神の国の希望を語り、力ある業をなし、共に喜びに満ちて食をとられた主です。「私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、…」(Iヨハネ1:1) とヨハネは語りました。

弟子たちにとって、信頼と希望のすべてであったイエス様が死んでしまった時の心情は計りしれません。しかし、イエス様は復活され再び彼らに現れて下さいました。

この復活のイエス様は、初めにマグダラのマリヤに墓の前で現れて下さいました。墓は失望・絶望を意味しますが、イエス様は死を打ち破る希望の主となられたのです。そのことは私たちのための初穂となり、永遠に生きる希望を与えておられるのです。

でも、マリヤにとっては単純に「私の愛する主は生きている!」という喜びでした。私たちも、今も生きていて変わることなく愛しておられる主にお会いするならば、喜びは私たちのものとなるでしょう。

次にイエス様は、弟子たちがユダヤ人を恐れて戸を閉めてあった部屋に立たれました。捕えられ殺されるかもしれないという恐れ、力強いリーダーがいなくなり、目的を失って不安に包まれている状況です。その中で主が現れ、「平安があなたがたにあるように。」と声をかけられました。かつて、嵐の中で立ち上がり静めて下さった主は今も生きておられます。弟子たちは恐れを平安に変えるイエス様を見て喜んだのです。

イースターの朝、失望を希望に、恐れを平安に変えてくださる主にお会いし、喜びに満たされますように!