月刊アッセンブリー| 2011年11月号

収穫は必ずある

大引毅代史 (北陸教区長・氷見キリスト教会)

「だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。」 (ヤコブ5:7)

今、この原稿を書き進めている時、外では田が黄金色に色づき、近所の農家の納屋からは脱穀する音が低く聞こえて来ます。稲穂は垂れて、早く刈り取ってと言わんばかりです。収穫を迎える農夫達にとって、どんなに大きな喜びでしょう。

氷見(ひみ)に遣わされて二七年が経過しようとしています。私たちは「旅の人」と言われ、いつ、いなくなるだろうかと言われていました。借家で一五年、神様から2000年に主の教会を建てよう、献げようとのビジョンが与えられて、その年に献堂しました。つい最近、「大引さん。この畑、自由に使われ。看板、建てたかったら、どこにでも、真ん中にでも建てられ」とご近所のお米屋さんの主人が言ってくださいました。そこは、最近開通した能越自動車道の氷見インターへのアクセス道路で、教会入り口の交差点の角にある畑です。すぐそばには、九月に開院したばかりの市民病院が建っています。看板が林立している都市とは違い、小さな地方都市では看板も目立ちます。私たちはさっそく看板をその場所に立てさせていただきました。

その様な会話が出来、関わりを持てるようになるために、長い期間がかかりました。もう教会の墓地もあるので、ずっとここにいます。骨を埋めます、と妻も言っています。昨日の今日のようにはいきません。農夫が地の尊い実りを、耐え忍んで待っているように、です。しかしながら、農夫はただじっと何もしないで待っているわけではありません。水を管理し、雑草を取り除き、肥料をやり、お米であるなら、八十八の手間がかかると言われます。たゆむことなく善を行なうのです。

けれども、忘れてはなりません。やがて収穫の時がやって来ます。時が来ると実がなるのです。兄弟姉妹が人々の救いのために祈り、努力し、関わることは、やがて人々の心を開き、神が実を結ばせてくださるのです。決して無駄になることはありません。必ず、収穫の時が来ます。そして、私たちは共に喜ぶのです。