月刊アッセンブリーNews 2014年5月号

絶えず祈りに励みましょう

柿崎 昭司 (横須賀キリスト教会)

「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」
ローマ12章12節

「私たちは1973年に7人で教会を開拓しました。そこからひたすら祈りました。神がヒンズー教徒の中で大きく働かれるように、祈りに祈ったのです。」

これは2012年5月の全国聖会のメイン講師であったデビット・モハン牧師(インド・アッセンブリー教団理事長)の言葉です。モハン師はさらに個人的な祈りの生活について、「私は毎朝5時から8時まで、3時間祈ってから一日を始めます。」と言われました。

聖書には、どの位の時間、祈ればよいかということは記されていません。しかし、イエス様は「神に祈りながら夜を明かされた。」(ルカ6章12節)また、ゲッセマネの園において弟子たちに「一時間でも目をさましていることができなかったのか。目をさまして祈っていなさい。」(マタイ26章40節)などの言葉から、いつも時間をかけて熱心に祈っておられたことがうかがい知れます。

モハン牧師の教会はひたすら祈り、祈っていく中に、神が徐々に働いてくださり、ヒンズー教徒たちが続々と救われていき、2011年には四万人になっていたというのです。神がしるしと不思議の業を見せてくださったからです。御業(みわざ)がなされるならば、どのような国もどんな人も変わるのです。望みは主にあります。「望みを抱いて喜び」と、信仰による希望を持って、喜びを先取りして、祈らなければなりません。

次に「患難に耐え」と記されています。祈りにおいての患難とは何を意味しているのでしょうか。長い間、祈ってきたが、全然こたえていただけないことか、それとも早天、断食、徹夜などの祈りによって肉体や精神に苦痛を感じることか、いずれにしても患難に耐えることが祈りにはつきものなのでしょう。患難を乗り越えてひたすら祈る人に、主は報いを与えてくださいます。その報いは大きな収穫と喜びです。それは今までの患難、苦難を全部忘れさせてくれるものです。

さあこれからは冒頭の聖句を握りしめて、今までよりさらに長い時間を、主の御前(みまえ)で過ごすことを決心しませんか。主の大きな御業を期待しましょう。