ペンテコステの恵みを確認する

玉川 吉昭 (関西教区長・堺キリスト教会)

今年のペンテコステ(聖霊降臨日)は6月8日です。そこで、イエス・キリストを主と信じる私たちが、いかに大きな可能性を秘めているかを確認したいと思います。

使徒言行録の著者と考えられるルカは、キリストの福音がエルサレムから始まり、ユダヤとサマリア、そしてローマ帝国の版図(はんと)である地の果てまで広まって行った様子を枠組みとして本書をまとめています。

10章に、神を畏(おそ)れるローマ人コルネリウスの一家が登場します。「神を畏れる人たち」とは、ユダヤ教への改宗に至っていないものの、ユダヤ人が信奉する神を畏れ、ユダヤ教に敬意を払っていた異邦人を指します。他方、ガリラヤ出身のペトロは保守的な信者で、イエスをメシアと信じた後も変わりませんでした。エルサレムで始まったキリストの福音がユダヤ人の枠を越えて異邦人社会に広まるために、神は何をなさったのでしょうか。答えは、主がペトロを用いて神を畏れる異邦人コルネリウスの一家に聖霊を注いだことです。

「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉(みことば)を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物(たまもの)が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。」使徒10:44-46

ペトロが主の導きにより滞在先のヤッファからカイサリアのローマ人コルネリウスの家に行き、イエス・キリストの出来事を語っていた時のことでした。説教のさなかに聖霊が降りました。当時のユダヤ人の信念によれば、主がシナイ山においてモーセと契約を結ばれて以降、異邦人は聖霊を受けることから排除されていました。ゆえに、同行していたユダヤ人の信者たちは大いに驚きました。聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれたとは、言い方を換えるなら、異邦人たちが聖霊によってバプテスマを受けたことです。主は人の力によって越えられない壁を越えさせられました。

「福音を語るなら、聖霊が注がれる」 これは神を畏れる異邦人コルネリウスの家で起きた出来事から学ぶ、原則的な教えではないでしょうか。日本国のクリスチャン人口は1%未満です。しかし﹁時﹂が来るなら、壁は打ち破られます。そのために、イエス・キリストからいただいた希望を語り続けようではありませんか。 (聖書は新共同訳です)

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