月刊アッセンブリーNews 2015年4月号

「復活」の宣教

北野 耕一 (中央聖書神学校校長)

イースターになると思い出すことがあります。中央聖書学校を卒業して広島開拓に遣わされ一年経った頃のことです。

一人の広島大学生が求道してきました。頭脳明晰(めいせき)な好青年で、主イエス・キリストの処女降誕と復活を史実として受け入れることが出来ず、あれやこれやと私を問い詰めてきました。何とか納得させようと四苦八苦しながら弁証を試みましたが、埓(らち)が明かずにイースター特別礼拝の聖日を迎えることになったのです。彼のためにも大きな期待感を持って、当時、教区長であった米国宣教師のポール・バーグ先生を講師に招きました。

ところが、先生のメッセージ内容が、目の前に座っている大学生を説得するには余りにシンプルなので、通訳をしている私が少々いらいらし始めたとき、バーグ師が力強く、「主キリストは正(まさ)しく死者の中からよみがえられました!」(Ⅰコリント15:20NIV訳) と宣言したのです。その瞬間、彼に何かが起こったようでした。表情が一変したのに気付きました。礼拝後すぐ彼のところに駆け寄ったところ、「わかりました! イエス様を信じます!」というではありませんか。頑固な知性の壁を突き抜けて、聖霊が聖書の生の言葉を彼の人格の奥底に届けて下さったのです。

この「瞬間」が私の牧会姿勢を大きく変える転機となりました。聖書の説き明かしが聴く者の心に届き、聴く者の行動を促すのは、洗練された語り口もさることながら、御霊(みたま)の働き以外のなにものでもありません。それを悟らせていただきました。使徒パウロの言葉を借りると、「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力(みちから)の現れでした」(Ⅰコリント2:4)ということにつきるようです。自分の知恵で説得を試みたばかりに聖霊が働きにくい環境を作ってしまった自分を恥じ、悔い改め、自分自身の信仰の復活を実体験できた貴重なイースター・サンデーでした。

使徒パウロは主キリストの復活について、「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」(Ⅰコリント15:13-14)と述べています。

実質のある主キリストの福音を伝えることのできる特権を感謝します。