和而不同
上原 和雄 (すわシオンキリスト教会)
わが家には昔父が大切にしていた武者小路実篤の「和而不同(わじふどう)」(和して同ぜず)という書に、かぼちゃやトマトの墨絵を添えた額があります。野菜の形や色が面白いのです。
人と仲良くするということは、その人と同じことをすることではない、という言葉です。例えばアメリカと仲良くすることは、アメリカと同じことをすることではないでしょう。
詩篇104篇34節には、神が多種多様な生物を造られたこと、それらをみな知恵をもって違うデザインに造られた、とあります。神の愛の証拠は、イエス様が十字架で命を捨ててくださったことだけでなく、生きとし生けるものをひとつひとつ違ったものに、 いわば巨匠の作品として造られたことも証拠の一つではないでしょうか。
有名な金子みすヾの詩に、「わたしと小鳥と鈴と」というのがあり、「みんなちがってみんないい」と歌っています。それは小鳥や鈴のことを云(い)っているのでしょうか。私たち人間がみな違ったものに造られていることを「善し」と云っているのであることは確かです。
今の時代、悪魔の誘惑で、多くの人が「みんなと同じことをしなければならない」とだまされているのではないかと思います。
あなたはどうしてスマホを持たないの
あなたはどうしてラインをやらないの
あなたはどうして部活に入らないの
大学生くらいになると―
君はどうしてコンパで酒を飲まないの
私の知るある若い奥様は、裕福なのに、隣家の奥様に「あなたはどうしてパートに出ないの」としつこく云われて、コンビニのレジで働くようになりました。
「みんなちがってみんないい」ということを信じない行動ではないですか。いつ頃からか、人間同質化=非人間化の嵐が、国中に吹きまくるお国柄になってしまいました。
「お酒をどうして飲まないの?」
「好きではないのでねえ」
と、なぜ素直に云えないのでしょうか。
堂々と「私はイエス・キリストをまことの神だと信じるようになりました」と洗礼式で告白する青年に、この夏、拍手を送りました。
「あなた方は地の塩、世の光です」(マタイ5:13-14)に恥じない一生を送ろうではありませんか。