月刊アッセンブリーNews 2016年3月号

主イエスの十字架の死と復活

本田 勝宏 (財務局長・中央聖書教会)

「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」   ローマ4:25(新共同訳)

主イエスの復活を喜び、感謝します。

私たちの教会は毎週日曜日に礼拝します。それは主イエスの復活の日だからです。古(いにしえ)より教会は、日曜日の朝、日の出とともに礼拝を始めた、ということを聞いたことがあります。日の出とともに、というわけではありませんが、私たちは毎週日曜日ごとに、主イエスの復活を喜び、神を礼拝します。

主イエスの復活を記念し、喜ぶと同時に、私たちは自分の罪が主イエスの十字架の死によって全く赦(ゆる)され、救われたことを喜びます。私たちの礼拝は、この主イエスの十字架の死と復活によって成り立ちます。ある教会は、日曜日だけでなく、他の曜日にも礼拝しています。その礼拝もまた、主イエスの十字架の死と復活によってなされている礼拝です。

今年は3月に受難週と復活節があります。しかし、この月だけ主イエスの十字架の死と復活を覚えるのではありません。毎週の礼拝のたびに私たちは主イエスの十字架の死によって罪を赦されたことを覚え、主イエスの復活によって義とされたことを覚えて礼拝するのです。
私が仕える教会では、復活節に召天者記念礼拝を行います。先に召された信仰の仲間を思い起こし、記念します。しかし、それだけではありません。先に天に召された方たちを思い出すだけでは礼拝とは言えません。これらの方たちの召天を記念するのは、復活を覚えるためです。

コリント第一の手紙15章には主イエス・キリストの復活が語られ、そしてその復活は、眠りについた人たちの初穂としての復活であることが語られています。また、テサロニケ第一の手紙4章には、キリストにあって死んだ人たちがキリストと同じように復活することが語られています。
ここに私たちの希望があります。この希望のゆえに、私たちキリスト者は今を生きるのです。この信仰と希望によって私たちは互いに励まし合い、主が再び来られる時を待ち望むのです。