月刊アッセンブリーNews 2016年11月号

感謝の号令

高木 順一 (北陸教区長・松任キリスト教会)

私が小学生の頃、通っていた学校には給食前に食前の感謝という慣習がありました。当番が「合掌! おあがりください。」と号令します。すると、皆が一斉に手を合わせ「いただきます。」と唱和するのです。担任教師にその意味を問うと「お米を作ったお百姓さん、お天道様に感謝するんや。」と説明してくれました。そんなものかと私も給食当番にあたる日は「合掌!」と号令をかけておりました。

さて、11月23日は「勤労感謝の日」です。「勤労感謝の日」について法律では、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日として意義付けられています。調べてみてこんな素晴らしい意義があったのかと感動します。これに似た日としてアメリカには「収穫感謝祭」があります。両者とも収穫の秋に祝われ、感謝するということにおいて共通しています。

一見、同じような祝日に見えますが、決定的に違う点が一つあります。それはだれに対して感謝するのか、すなわち感謝の対象の違いです。「勤労感謝の日」はお父さん等人間に対して感謝するわけですが、「収穫感謝祭」の方は天の父なる神様に対して感謝を捧げます。「お天道様」という漠然とした存在でなく、天地万物をお造りになられた神に感謝を捧げるわけです。

この「漠然としていない」ということが大切だと思います。どなたにむかって感謝しているのかを知らなければ「合掌!」の祈りと大差なくなってしまいます。改めて思い起こしましょう。天の父なる神様は私たちを愛しておられます。私たちの最善を願い、私たちの理解を超えた方法で人生を導いていかれます。神様は良き父親であり、私たちはこの方に感謝を捧げるのです。

たとえ様々な課題や痛みを抱えることがあったとしても、聖霊により注がれる神の愛があれば乗り切ることが可能です。「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。」(新共同訳 詩編103篇2節)今ある恵みについての感謝を忘れると、ないものについての不満が募るばかりです。一方で、ないものについて神が必要なら備えてくださると主に感謝するなら、今ある恵みに心の目が開かれていきます。

子どもの頃以来、久々に祈りの号令を発する番がやってきました。巻頭言にあたり号令します。「父なる神様に、感謝を込めて祈りましょう!」