月刊アッセンブリーNews 第735号 2016/12/1発行より

「名:シェム」 שֵם
「神の名:エヒエ アッシェル エヒエ」
אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה

川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda

 今回では、「名、名前」を取り上げることにします。名前の分からない人を「名無しの権兵衛さん」と呼ぶことがあります。由来は幾つかあるようですが、名前が分からない人を呼ぶ時に使われてきました。

 それでは、神は神であって、名前は無いのでしょうか。モーセはエジプトに行く前に、神にその名を尋ねると、「わたしは、『わたしはある』という者である(出エ3・14)。」と応えられたのです。このように言われて、「あなたの名前が解りました」と言えるでしょうか。

 また、「名は体を表す」と言われるように、その物や人物の性質や実体をよく表したものだと言われています。両親が子供に名を付ける時にも、その子供に対する思いが込められています。聖書の中にも、名前の意味がしばしば語られています。最初の人アダムについて、新共同訳聖書では、「主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった(創2・7)。」と訳しています。アダムの名の由来が「土」にあるからです。

 それでは、神の名も神の性質、実体を表すものではないでしょうか。名がその人の全てを語ってはいないのかもしれませんが、明らかに一面を表しているのは確かです。神の名は、ヘブル語の未完了形の「存在する」という動詞が2回使われています。直訳すると「未来に存在するであろうところの未来に存在する(もの)」となります。即ち、神は過去に存在した方ではなく未来に向かっておられるお方ということです。聖書の神の名には、私たちの未来と共におられるお方を意味しているのです。それは一瞬先の未来になるのですが、神は私たちの刻一刻と変わっていく人生と共におられ、一歩先を見据え、共におられるお方なのです。神は、このような意味をご自身の名に含めているのです。主イエスの名である「イエス」が「救い」を意味するように、その名を信じる者に神の子となる資格(ヨハネ1・12)を与えてくださるのです。