月刊アッセンブリーNews 第747号 2017/12/1発行より

「生まれる、産まれる:ヤラッド」 יָלַד 

川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda

 

 日本語の聖書に使われている「生まれる」と「産まれる」との違いを考えなければなりません。一般的に、「生まれる」は汎用(はんよう)的に使われていますが、「産まれる」は出産に関すること、生命を産みだす時に使われています。また、「生まれる」は精神的、芸術的なものに使われますが、「産まれる」は現実的な物を対象とする時、物を作り出す時に使われています。

 愛が「生まれる」とは言いますが、愛が「産まれる」とは言いません。一つの考え方ですが、無いところから生み出される場合に「生まれる」、現実的にあるものから生み出される場合に「産まれる」を用いているようです。

 それでは、聖書はどのように記されているでしょうか。口語訳では、「生まれ」を一度しか使っていません。新改訳では、「生まれ」を162回、新共同訳では260回を数えますが、口語訳の表記は、「生れ」と記され162回使われています。ところが、「産まれ」という言葉は、新共同訳、新改訳、口語訳で訳されていませんが、「産(産するなど)」という言葉では、口語訳では342回、新改訳では334回、新共同訳では348回になります。

 それでは、ヘブル語ではどうなっているのか、と知りたくなります。上記の言葉が動詞として使われている回数は499回になります。

 クリスマスを迎えるアドベントが始まります。預言者イザヤは、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。(注1 )」と語っています。

 しかし、ヘブル語の聖書では、受動態、完了形で「産まれた」となります。「産まれる」のではなく、「産まれた」のです。主イエスが、「わたしはすでに世に勝った」と勝利宣言をしているように、預言者はすでに、救い主の誕生を完了したものとして語っているのです。

 イザヤは続けて「ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱(とな)えられる。(注2 )」と語ったのです。

 そして、時を経て「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。(注2 )」と御使いによって告げられたのです。

(注1)イザヤ9:6 新改訳聖書 *ヘブル語は、右から左に読みます。
(注2) イザヤ9:5 ヘブル語聖書、新共同訳聖書