2004年6月1日発行 通巻第585号
サンライズのぞみ教会 三上 友通 Tomomichi Mikami
《第五戒》
「あなたの父と母を敬え。」
(出エジプト記20:12)
最初の四つの戒めは、神さまと人間に関することでしたが、第五戒からは、人間同士の関係に関する戒めです。
そして、対人関係において、最初に親子関係が扱われているのには何か意味があるのでしょうか。
神さまが定められた父と母
この戒めには、「あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」という理由が続いています。
十戒が与えられた時代は、何時侵略されるか分からないような状況でした。そのためには、皆が力を合わせて、自分たちを守る必要がありました。社会の一番小さな単位である家庭で父親を尊敬することは、その民族が一丸となって自分たちを守ることにつながったようです。
現代の日本は昔のイスラエルと状況が違うので、父と母を敬う必要がないのでしょうか。そうではなさそうです。私たちは、父と母の関わりによってこの地上で生きる者とされました。それは、主のご計画によったのです。父と母は、自分で選んで得た存在ではなく、主によってそのように定められました。その主が「あなたの父と母を敬え」とおっしゃるのです。
人間関係の基は親子関係
私は、クリスチャンホームで育ちませんでしたし、親を敬う、または重んじるという感覚を持っていませんでした。ですから、「もう少しお金持ちの家に生まれれば良かった」とか、「頭の良い親だったら」等と思っていたことがあります。また、自分の両親を尊敬するに値すると思ってもいませんでした。私は、かなり自己中心でした。今になってみれば、大変申し訳ないことを考えていただけではなく、なんと罪深い私なのかと思わされています。
父と母を敬っていなかったころの私は、両親だけでなく、他の人をも敬うことができなかったように思います。
「自分の親を敬いたくても、どうしても敬えない」と言う人もおられることでしょう。しかし、「尊敬できないような親の場合は敬わなくても良い」とは、神さまはおっしゃいませんでした。
父と母を敬うべき理由
「父と母が、立派で素晴しいから敬え」というわけではありません。親とはいえ、人間であるかぎり完壁な人はいません。不完全な者であっても、あなたの父であり、母であるがゆえにあなたは敬うべきなのです。両親を敬うことは、主の命令だからこそ守るべきことです。また、両親を造ってくださったのも主ですから、主を愛する者は両親を敬うべきなのです。
敬うという行為
両親に何かを買ってあげるといった行為はさほど難しいことではないでしょう。たとえ買ってあげたくないという思いがあっても買ってあげることはできます。しかし、敬うという行為は自分の考えと感情も関係していますので、敬っているように見せかけることは可能でしょうが、本当に敬っていなければ、両親を敬うことはできないでしょう。
どうすれば良いのか?
父と母を敬うということは、自分の問題です。敬うことのできない理由はそれぞれあることでしょう。しかし、一番の問題は自分なのです。自分のありのままを受け入れてくださり、自分を愛していてくださる主を知っていることがカギです。ここで「知っている」という意味は、頭で理解しているというレベルではなく、神さまは一人子なるイエスさまを十字架にかけてまで自分を罪の奴隷から解放してくださったこと、そして自分は罪赦され、本当に愛されていることを実感していることです。
自分が主にあって解放されているならば、自分を受け入れることができるはずですし、自分を生んでくれた、ありのままの両親をも受け入れることができ、敬うことができるのです。自分の父と母を敬うことのできる心を持つと、自然に他の人をも敬うことができるようになることでしょう。