祝福された信仰生活の5原則(3)

礼拝を共にする幸い

教団ニュース・アッセンブリー
2003年10月1日発行 通巻第577号

信仰の養いの場

 救われた者は、「神の子ども」とされ、神の家族の一員とされたのです。信仰の家族とされた者にとって、教会は、信仰を養い育てる大切な場です。この教会で養われることにより、キリスト者の目的である「神の栄光を現わす」人生が、開かれて行くのです。このように、神は、教会を通して、ご自身のみわざをなしとげて行かれます。ですから、教会を無視した信仰生活はありえないと言ってもよいのです。

執筆者 長澤 忠雄
熊本聖書教会 牧師
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最大のつとめ

 キリスト者の最大のつとめ、また栄光はキリストにあって父なる神を礼拝すること、この一言につきます。礼拝をささげることによってはじめて、教会は教会として形成されます。
 主の日の礼拝は、復活の主を記念するために、弟子たちが相談して始めたものではありません。復活の主ご自身が、弟子たちのところに来られ、共におられることを示された時に始ったのです。(マタイ28:17、20) このように礼拝は、主がまず私たちを呼び集めてくださるのであり神の側から始まります。だからこそ、礼拝には充実があり、喜びがあるのです。

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応答と交わり

 キリスト者は、まず礼拝によって神に応答します。父なる神による選び、御子イエス・キリストの血による贖い、聖霊による来たるべき御国への保証という。神の救いに対する応答です。礼拝では、この神の救いに対して、感謝と賛美と献身をもって応答します。信仰は、神の呼びかけに対する応答です。神の愛に応答して信仰生活をもつということは、さらに信徒同志が共に神の愛に応答することにつながらなければなりません。
 信仰はキリストを通しての神との交わりであると共に、その交わりを実践していく場が教会です。教会の本当の交わりは、スキンシップ的な交わりではなく、共に礼拝し、祈り、賛美を共にするところから生まれてきます。

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身辺の整理

 私たちには社会生活があり、来る日ごと同じペースで、主日礼拝を迎えるわけではありません。ある有名な牧師が、「誕生から死に至るまで、一環してつらぬく太い線がある。キリストと父なる神への服従である。この線のために必要なこと、それが身辺の整理である」と、信仰生活の手引きの中で記されています。
 礼拝者として生きようとするならば、それにふさわしい計画と準備が必要です。例えば、主日礼拝の日に時には、会うべき人と会えない事情になることもあります。 しかし、説得し、説明すれば理解が得られることでしょう。主に従ったその時点で、この世のしきたりと別れ、その時、聖霊が共に働き、すべてが益となるように助けてくださいます。

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生活への派遣

 ほとんどの教会で、礼拝の最後に祝祷をうけます。礼拝はこれでおしまいという宣言ではありません。一週間の信仰生活の上に神が共にいてくださるようにという祝福を祈る祈りであり、派遣される信徒への派遣の宣言なのです。つまり、わたしたちのからだを、神へのささげものとして生きる生活のための祝福の祈りです。
 また、証し人の使命に燃えさせられるときです。その祝福のあと「アーメン」を三唱する教会がありますが、それは、神礼拝のしめくくりとしての心からの応答となります。
 このように、一週を礼拝から出発して行く生活は、必ず神の栄光を証しして行くものになります。

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