月刊アッセンブリーNEWS 2018年5月1日号より

杉田キリスト教会(神奈川県)久保田 潔 Kiyoshi Kubota

聖書の言葉

「あなたがたのうちに百匹の羊を持っていた者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜さがし歩かないであろうか」
(ルカ福音書15章4節)

 聖書には多くの数字が出てきますが、私はその中で最も大きな数は「1」だと思います。その根拠は「失われた一匹の羊」の例えの中にあります。

 野原で百匹の羊を飼っていた羊飼が一匹足りないことに気づき、山中を探し回って発見した時、九十九匹の羊に勝って一匹の迷子の羊を見出したことを喜んだという例えです。

 主は「1」を非常に大切にされるお方で、マルタや富裕な青年へのおことばにも表れています。それは主が一人の救いのためにあらゆる犠牲(ぎせい)も厭(いと)わず、常に全身全霊をもって行動されていることを表しています。伝道の基本は、聖書の言葉を掲げて一人の未信者をキリストに勝ち取る人格と人格の勝負なのです。このことはまた、伝道の究極は個人伝道にあることを示唆(しさ)しているといえるでしょう。

 個人伝道法については、古典的なR・A・トーレイの『個人伝道法』に始まり、豊留真澄の『心と心の伝道』、D・J・ケネディーの『爆発する伝道』、『四つの法則』『友情伝道』『希望の架け橋伝道』等多くのすぐれた伝道法が紹介されて効果を表していますが、これらを二つに大別すると、最初からはっきりとキリストの十字架を語って、反応のある人にさらに語っていく「心と心の伝道」方式と、まず親しい人間関係を築いてそこから徐々に福音を語っていく「友情伝道」等があります。私の親しい友人で中央聖書神学校の同僚(どうりょう)であった故W牧師は、前者の伝道法に基づいて、堅実な大教会を形成しました。伝道大会等では信じなかった者が1対1の個人伝道で救いに導かれた例は数多くあります。

 個人伝道の利点の一つは、会話のキャッチボールの中で、相手の状態に合わせてキリスト教の真理を時間をかけて説明出来ることです。例えば、聖書の最重要教理の「十字架」は現代人にとって中々理解しがたいことでしょう。少々極端に言えば、私は“実感が伴わなくても聖書に記されていることだから信じる”ことを強調することにしています。

 最近、長い間伝道しても受け入れなかった信徒の母親が重い病気で入院することになりました。枕元でその信徒は必死になって伝道し、(「困った時の神頼み」も大切な伝道法です)“イエス様はお母さんの罪を身代わりに背負って十字架にかかってくださったのよ”と語りました。すると今まで拒否していた母親が“信じるよ”とうなずくので、“十字架の意味がわかる?”と念押ししたところ、母親は“そうゆうことになっているんでしょ”と応じたそうです。その母親にとっては、二千年前に遡(さかのぼ)った実感が無くても、その応答は主のおことばに対する精一杯の応答であり、信仰告白だったのです。伝道はそこから始まり、さらに深い「十字架」体験に入ります。母親はその後、洗礼を受けて現在療養中です。

 個人伝道は対象者や伝道する者によって様々な形になりますが、目の前の「一人」に全力を注いで福音を語って救いに導けた時、天上のキリストと、“わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから”(ルカ15・6)と喜び合う経験をするでしょう。

 あなたにとっての「一人」を探してください。そして個人伝道をしてみましょう!