学生と先生の対話でわかりやすい ♪

そもそも、「教理」って何ですか?

学生

 先生、教理史の勉強を始めると伺いましたが、教理史なんてどうして必要なんですか? 教会教育部「こひつじ」(編集者注:教案)を見て来週の日曜学校の準備をするので忙しいし、宣教師のブログを読んで祈るほうが実践的でいいと思うんですが…。

そもそも、「教理」って何ですか?

2008年1月1日発行 通巻628号

執筆者 
野口 一郎(大津キリスト教会牧師)

-教理とは何か-

先生

 君が言うことももっともだ。でも実は教理抜きでは日曜学校の準備もできないんだよ。教理というのは、聖書が教えている信仰の真理で、二千年の間、キリスト教会が信じ、教え、告白してきた事柄だ。私たちは個人的にイエスさまを信じているけど、その信仰は自分だけで聖書を読んで理解した事柄じゃなくて、教会の歴史の中で受け継がれてきたものだ。例えば、三位一体の教えは、全く白紙で聖書を読んだだけで理解することは難しいだろう。 教会の歴史の中で先輩たちが聖書を学び考えてくれたからこそ、今、私たちはこの真理を知ることができるようになったんだ。

 教理は、君の教会でも告白している使徒信条やその他国さまざまな信条・信仰告白・教理問答などの形でまとめられてきた。アッセンブリー教団が大切にしている「基本的真理に関する宣言」も教理を教えているものだ。

学生

 教理が大事だということはなんとなくわかりました。でも教理の歴史を勉強するってどう意味があるんですか?

-教理史を学ぶ意昧-

先生

 随分話題になり映画にもなった小説『ダ・ヴインチ・コード』には、「イエスを神となすことは、ローマ帝国の統一を強固なものとし、誕生したばかりのヴァチカンの権力基盤を確立するうえで大きなな意味を持っていた。」という文章がある。イエスさまが神であるという教理が人間の思惑で決められたと言っているわけだ。君ならどのように反論するかな? 同じようなことをものみの塔は三位一体を否定する小冊子『あなたは三位-体を信ずるべきですか』で述べている。

学生

 わかりました。つまり、教理史を勉強すると、キリスト教教理の成立について、人々が持っている疑問や誤解や偏見に答えることができるわけですね。

先生

そのとおり。教理史は伝道の助けになる。間違った教えに直面して、何がほんとうに正しい聖書的な信仰なのか明確にする努力の跡が教理史である、と言えるんだよ。興味深いことに、今、私たちが接する異端的な教えと同じような教えが歴史の中にすでに存在していたことがわかる。そうするとどのように異端的な教えに対応するかも、歴史の中でヒントを得ることができる。

学生

それに、なぜ教理が今日のようにまとめられてきたかわかると、教理の深く豊かな意味がわかってきますね。 そのほか、教理史を勉強すると役立つことは何ですか?

先生

ひとつのテーマ、例えばイエスさまの十字架についても、勝利の出来事として理解する、犠牲として理解する、償いとして理解する、などいろいろな捉え方があることがわかる。 そのなかで何を自分が特に大切なこととして信じているかがわかる。自分の信仰を正しく評価できる。そして、幅広くバランスよく健全な信仰をもっ助けになるわけだ。

 さて、次回から具体的な教理的テーマををとりあげていこう。
 予習のために、丸山忠孝氏の「キリスト教会2000年」(いのちのことば社1985年)をお薦めしたいね。