学生と先生の対話でわかりやすい ♪
神であり人であるキリスト
-振子が振れる-
もうすぐペンテコステですね。僕は受洗して五年経ちますが、今まで聖書を読んでもわからなかったことがこの頃わかってきたように思います。
それはよかった。神さまはすでに聖書で真理を教えておられる。でも人が理解するのには時聞が必要だ。教理の歴史も同じで、まるで時計の振子が左右に振れるみたいだよ。
2008年5月1日発行 通巻632号
アポリナリオス
前回、四世紀に三位一体の教理が確立したことを勉強した。キリストが神であることが確認されたので、次の焦点は、キリストはどのように神であり同時に人であるかということに移った。
アポリナリオスという人は、キリストは人間的な魂はもっておらず、代わりに神的な魂をもっておられると言い始めた。魂こそが罪の源になる場所だから人間の魂をもっていたらキリストも罪を犯してしまう、キリストは完全に神だからそんなことがあってはいけない。これが彼の主張の要点だ。彼はアタナシウスの盟友としてアリウスの教えに対抗した人で、キリストが神であることを守ろうとした。でも彼の教えは三八一年のコンスタンティノポリス公会議で斥けられた。理由は、キリストが人間の魂をもっておられなかったとしたら、人間は魂が救われないことになるからだ。
キリストが完全な人間となられたので、人間のすべてが完全に救われるということを教会は重要と考えたわけだ。
当時の教父たちは救いの教理(救済論)とキリストに関する教理の結びつきをとても大事にしていたんですね。
ネストリオス
アポリナリオスの次に登場したのがネストリオスだ。
彼は、当時、教会がイエスさまの母マリアを「テオトコス(神の母)」と呼ぶことに反対した。キリストが人間であることが否定されると思ったからだ。アポリナリオスとは正反対だ。彼の主張は、キリストの中にある神の性質と人間の性質をはっきりと区別し、キリストが人であることを守ることだった。ところがその結果、神の性質と人間の性質の結びつきが弱まってしまった。彼の教えは四五一年カルケドン公会議で斥けられた。
エウテュケス
そしてすぐに振子は再び振れた。エウテュケスという人が現れ、キリストは一つの性質しかもっていないと教えた。
ネストリオスとは正反対でキリストの神の性質を強調した。キリストの人間の性質は神の性質に吸収・融合されたので、キリストは私たちと同質の人間ではなくなってしまった。この教えもカルケドン公会議で斥けられた。
カルケドン信条にはキリストの神の性質と人間の性質は「混合することなく、変化することなく、分割されることなく、分離されることのない」ものだとあります。キリストは一つの人格と二つの性質をもっておられるということですね。振子が振れるなかではっきりしてきたんですね。
この後もネストリオスやエウテュケスの影響は長く続いている。でも教会はキリストが神であり人であるという真理を明確にすることができた。これは重要なことだ。なぜなら、キリストが完全な神であるから人を完全に救う力をもっておられるし、キリストが完全に人になられたので人のすべてを救うことができるからだ。