坂本キミ「私の生涯の回想記」(第16回)

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 ある祈祷会の夜、それは恵まれた集会でした。聖霊はひとりひとりをとらえて下さったのです。誰も隣にいる人など全く忘れて、神のみまえに祈っているのです。それは神に相対して熱心に談じ合っているかのごとく、訴えているかのように、聖霊によって祈っているのです。いな、祈らされているのです。泣きながら祈る者、両手を上げて感謝している人、臨在の濃厚なこの部屋では、天国もかくあるかの思いが一同にあふれているのです。



 集会が一応静まった時に、後ろの座にいた山田兄が立って前に出て、講壇に立ち、説教口調で異言で語り出したのです。それは実に堂々としたもので、私はその態度にふれて驚き恐れました。神からか、肉からか、ただ祈りました、栄光のみあがめられるために。するとしばらくして山田兄は、はっきりと、ヘブル書七章と九章から読みはじめ、話されました。(山田兄はこのころまだ四福音書と使徒行伝くらいしか聖書の順序がわかっていない時でした。) 七章の二十二節から二十五節を強調して、イエスこそ永遠に変ることなき祭司であると語り、九章では一節から十四節まで読み、十四節を強調して、キリストの血の力を説きました。語り終ると静かに祈り、感謝して座にもどりました。





教団ニュース・アッセンブリー 1979年3月1日発行 通巻282号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『聖霊のふり注ぎ』

 信者たちはと見れば、感激のあまり静まりかえって各々が御言葉にくいいっているのです。富永さんが見えませんので、後方にいる信者さんに聞きますと、「富永さんと冬子さんは、こんなすばらしい集会を警察署長がごらんになったら、かならずキリスト教を見なおして下さるにちがいない」と二人で相談して行きましたとのこと。私は全く驚きました。十時だというのに帰ってこない二人です。早速警察署に二人を迎えに行きました。小座野兄が案じて一緒に行ったのです。警察では何の事はない、当番の若い巡査が面白がって富永さん冬子さんをからかっているのでした。実に実に汚い言葉ではずかしめているのです。



 若い二人はその前で小さくなっているのです。私は全く腹が立ちました。許せない心で一杯でした。それまでは、法の上に立っている警察官に対して、一応は敬う気持ちを持っていた私でした。しかしこの巡査たちの言動を見て、全く怒りでどうする事も出来ませんでした。この巡査は、私を見ると「気違いの親分が来た」と言うのです。私も激しく言いあって、とにかく二人を連れ帰ろうとするところへ、山田兄が心配して迎えに来て下さったのです。巡査は山田兄を見ると、何も調べるでもなくいきなり、「貴様を拘留する。ほかの者は帰れ」と実にはなはだしい態度です。「駅で大切な職場の責任のある人ですから帰して下さい」と、いくら願っても聞いてくれません。




 私は教会に帰っては来ましたが、心がおさまりません。信者は一部の人が帰っただけで、皆さん心配しています。私はこのようなことが今後もあっては困ると思い、東京のマリヤ先生のお父様と弓山先生に、警察のこと、また教会のことも御相談すべきだと思い、甲府駅を夜行の汽車でたち、滝ノ川の神召教会に向いました。ウェングラー先生は休暇で米国に帰省中でしたが、ジュルゲンセン師は教会の恵みの様子を知り、すぐに弓山先生と連れ立って甲府に来て下さいました。




 教会に帰って見ると、近所の人たちが教会の周りに集まって心配顔でいるのです。私が遠くに見えますと、家主の奥さんが駆けよって、「大変ですよ。教会の人たちは、富永さん始め、みんな気が狂ってしまったようですよ。昨晩は一晩中大騒ぎでした。泣く人、笑って喜こんでいる人、歌っている人、きょうも同じことが続いているのです」とのこと。教会は鍵をかけて、誰もはいれません。私が玄関をたたいて、「富永さん帰りましたよ、弓山先生もご一緒ですよ」と知らせますと、中から戸を開けて、富永さんと八木兄が輝いた顔をほころばせて、異言であいさつするのです。丁寧に頭をさげて中にはいると、一同聖霊に満されて、そのすばらしい事。ジュルゲンセン師、弓山師を迎え、そのまま、また集会になったのです。(きょう思い返しても胸のおどる思いです。)




 私は初め、先生方を迎えたら警察の態度について抗議してほしかったのでした。先生方に、警察の態度についてお話しましたところ、ジュルゲンセン師は、「教会がこんなに神様によって扱われているのだから、ほかの出来ごとは神の手に任せて忘れなさいと言れました。その夜は、先生方おふたりによるすばらしい集会でした。甲府に来て初めての大集会でした。先生方はお泊り下さって、幸せそのものでした。



 その後、教会は神の祝福により、日増に生ける神の群らしくなって参りました。集会場が幾分狭さを感じて来た時、三人の老婦人のひとり、玉井しげ姉が、教会堂建築資金として一千円を献げたのでした。当時は、一千円で立派な倉が建てられる時代なので、実に大金でした。早速米国にいるウェングラー先生にお知らせしたのです。十か月後、日本に帰って来たウェングラー先生は、八王子市追分町の家に落ちつかれました。一か月後、八王子教会に奉仕していた田中篤二師と、甲府の私と交替して欲しいということになり、甲府の信者は一同反対でしたが、やむを得ない事となってしまいました。これは神から出たものでないことを今でも悔やんでいます。




坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。