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昭和初期 円タク

教団ニュース・アッセンブリー 1978年6月1日発行 通巻273号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『聖書女学院卒業後』

 一九二八年(昭初三年)六月私は東京近郊立川のベレヤ聖書女学院を卒業しました。卒業式にはC・F・ジュルゲンセン師(マリヤ先生のお父上)マリヤ師、また弓山先生、ウェングラー先生方がご出席下さいました。私はこの日のために母が作ってくれた着物を着ていました。



 ウェングラー先生は「坂本さんの大切な日ですから、今日は八王子から円タクで立川の神学校に行きます」とおっしゃって円タクで行きました。もし汽車にのれば二十銭のところが、三円でしたから十五倍かかった訳です。円タクに乗る人などザラに見られない頃でしたから、私はあふれる程の喜ぴを心に覚えました。神学校における所定の学びは終った、今から伝道一途に進み行くのだと心に決心しながら立川への道のりを車から眺める外の風景は、また格別なものでした。


 その日の卒業式には、諸先生方から大変な励ましのお言葉を頂き、今日まで忘れることはできません。卒業後は私の生活が少し変ってきました。今迄のようにあわてて飛び出して自動車待合所にゆかなくてもよいのです。その事は何とも嬉しくて誠に落付ける思いでした。
 そんな時、喜んで様々な計画を考えて下さるはずのウェングラー先生が、何やらお元気がなく考えこむ御様子に私は心配でなりませんでした。



 そんなある日、先生から「今度宣教師達が相談の結果、神戸の子供ホームのストラーブ先生が帰国なさるので、その留守の間を守るため後任としてウェングラー先生が行く事に決定した」とのお話でした。寝耳に水とはこの事で、全く驚きました。先生は打ちあけられなくて日一日と延していたそうでした。しかしこの事を打ち明けると急にアッと思う間に神戸に移転されたのです。



 「神学校を卒業したのだ、さあ今から先生とあらゆる面で伝道だ、これからだ」と若かった私の胸は誰もがそうであるように希望に満ち、張り切っていた矢先の事でした。私にとってウェングラー先生のいない追分町二〇番の家はまるで空家のような感じがするではないか、先生の甲高いあの独特な呼ぴ声「坂本さん早く…」などの声ももう聞えないし、ましてやパチパチ、チンジャーのタイプの音もきこえない。あるいは深まりゆく夜に一人遅くまで先生のお帰りを待っていた時に聞えたあの靴音も帰ってこない。これから私一人で何ができようか、と考えると急に不安と淋しさで一杯になりました。泣きました。泣いて、泣いて祈りました。そして幾日かそのような日が続いた後、神様は聖言(みことば)を下さいました。ヤコブ書一章四節でした。「忍耐をして全き活動(はたらき)をなさしめよ。これ汝(なんじ)らが全くかつ備りて欠くる所なからん為なり」


 このみことばによって自分にかえる事ができました。自分の前に置かれている道を改めて見つけられました。泣きながら「神様お従いします。お助け下さい」とお答えしました。「一人です。今からは本当に一人です。主よ、お願いします」とも祈りました。その時から私一人による伝道が始まったのです。


 でも振り返って見ますと、この追分町二〇番のお家には楽しい思い出が一杯です。一人になって始めて今更のように思い出す過去の様々な事柄でした。



 宣教師ベンダー御夫妻も八王子においで下さった一人でした。



 おいで下さる度毎に(女二人で暮す家には男手の必要な仕事もあるものです)先生夫妻は垣根の手入れ、そこここの修理などをして下さいました。また、ある時は先生夫妻は、私とウェングラー先生(神戸に二年間いて再ぴ帰ってこられた)をモーターサイクル(サイドカー付きオートバイ)に乗せて八王子近辺をドライヴして下さったこともありました。髪が乱れるからと言ってこの時先生は御自分の帽子を私にかぶらせて下さいました。ですから私のいでたちと云えば、着物に袴と帽子という工合(ぐあい)です。

 でもこうした事が楽しかったのですから私も若かったのだと苦笑するものです。先生も天国で笑っておいででしょう。


 また、マリヤ先生の兄上であるジョン・ジュルゲンセン先生、ミセス・エステル先生、グレースお嬢様も八王子においで下さった方々です。この中のジョン・ジュルゲンセン師は百キロもあろうかと思われる程の肥満な体でしたから、お泊りになる時の大変なことは一通りではありませんでした。これらの方々も今は天国、主のみもとです。



坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。