モーセの十戒に学ぶ (9)

2004年9月1日発行 通巻第588号

サンライズのぞみ教会 三上 友通  Tomomichi Mikami

 

 

 

 

 

《第八戒》

 「盗んではならない」
 (出エジプト記20:15)

 

 盗んではいけないことは、説明をしなくてもわかっておられることでしょう。それでは、クリスチャンになってから盗んだことが無いという人はどれほどいらっしゃるでしょうか。気がつかずに盗んでいる場合もあります。ここで、紙面の許す範囲内で例を挙げてみることにします。

 

主へのささげもの

 マラキ書3章8節に「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。」とあります。

 そして、「それは、十分の一と奉納物によってである。」と続いています。収入の十分の一の献金をささげることは強制ではなく、神さまからのチャレンジと捉えた方が良いでしょう。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。ー万軍の主は仰せられる。ーわたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」(マラキ書3:10)とあるからです。

日常生活の中で考えられる事

  • 税金:全ての収入を正しく申告しないで、納税額をごまかすことも盗みと言えます。
  • 版権:教会で使われているコーラス集などで、コピーライトがあるものをコピーして教会で備え付け、毎週使っていることは無いでしょうか。テープやCDなども同様です。他の人が持っている権利を自分のもののように扱うことも盗みです。
  • 不正な秤(はかり):聖書の中に出てくる例で升や秤、物差しなどをごまかし、商売をすることが書かれていますが、これも明らかに盗みと言って良いでしょう。秤などは検査を受けなければなりませんので、こういったことは少ないかと思いますが、お客さまをごまかして商売をすることは今でもあることです。
  • その他にも定期券を使ってキセルをしたり、出張料金を多めに請求するなどは日常茶飯事に行われているかも知れません。また、人に何かを借りていて返さなかったりすることも立派な盗みです。けれども小さなことはさほど気にせずに行われてしまっているようです。

新約聖書の教え

 使徒パウロはエベソの教会に対して「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」(工ぺソ書4:28)と書いているところをみると、クリスチャンになっても、盗み続けていた人がいたようです。

 盗むことをやめることはあたりまえのことですが、さらに、困っている人を助けるために働きなさいというのです。私たちは、単に人のものを不正にとらないということだけでなく、むしろ、他の人を助けるために仕事ができるならすばらしいですね。自分が生きていくだけで精一杯というのではなく、他の人のために生きる生き方はきっと主に祝福されることでしょう。

 盗むものは、お金や物だけではなく、人も含まれているようです。旧約聖書の時代には、奴隷制度もあったので、奴隷を盗むということもあったようです。現代でも、強い者が、弱者を所有しようという意識は変わらず存在しています。人間を人間として受け止めず自分の役にたつ者、たたない者と考えることは、人の人格を奪っているようなものです。

 聖書の基準を知るためにキリスト教倫理の入門編などを読むことをお勧めします。きっと気がつかずに行っていたことが沢山書いてあることでしょう。

 神さまの前に私たちは何も隠すことは出来ません。人をごまかすことなく正しく生きたいものです。また、他の人の持っている物やお金、人権、時間なども盗まないよう気を付けましょう。神さまは全ての人を愛していてくださるからです。