モーセの十戒に学ぶ (10)

2004年10月1日発行 通巻第589号

サンライズのぞみ教会 三上 友通  Tomomichi Mikami

 

 

 

 

 

《第九戒》

 「偽りの証言をしてはならない」
 (出エジプト記20:16)

 

 「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」とありますが、裁判における偽りの証言を意味しています。ここで、「隣人に対し」と言うところが気になるところです。貧しい者や在留異国人も含め、同民族、同じ神を信じる者、また生活を共にする者を隣人としていたようですが、自分たちの立場や利害を考えるようになると隣人以外は敵になってしまいがちです。そこでイエスさまは、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とおっしゃられたのですね。「良いサマリヤ人」のお話も思い出されます。

 

 さて、この戒めは裁判における証言についてだとすると、自分には関係が無いと思われる方も多いことでしょう。しかし、科学的捜査等、現代のような証拠をそろえることの難しかった当時は、裁判での証言は人々の日常生活に深く結びついていたようです。そこでの証言は物事を大きく左右したに違いありません。偽りの証言によって私たちが不当に扱われることは、御心ではありません。神さまは、全ての人々を愛していてくださる方ですから、私たちが常に誠実であり、お互いに愛し合って生きることを願っておられます。私たちの日常の会話においても、他の人に大きく影響を与えますので、誰に対しても真実でないことを語ることを主は喜ばれません。

語る時の心の姿勢

 「偽証してはならない」という戒めの意味は、嘘をついてはいけないということだけではありません。事実を語っていても戒めに反することもあります。人を傷つけたり信用を失わせたりするような発言も戒めを破ることになります。

 肯定的に表現するならば、いつも誠実であり、真実を語りなさいと言い表すことができるでしょう。箴言14:25に「誠実な証人は人のいのちを救い出す。欺く者はまやかしを吹聴する。」とありますが、誠実な証人は事実を言うだけではなく、人のいのちを救い出すと言うのです。私たちが語る時、心の姿勢次第で、同じようなことを言っても影響は正反対になることがあります。神さまを畏れ、愛をもって、他の人について話すことが大切です。

嘘に関しての例外???

 聖書の中に嘘をついて、神さまに祝福された人がいます。それはラハブという遊女です。ラハブはエリコを偵察に来た二人のイスラエル人を屋上にかくまい、追手に対して、すでに出て行ったと嘘をつきました。(ヨシュア2章) ラハブは神さまから祝福され、イエスさまの系図(マタイ1:5)の中に入れられています。このように書けば異論がでそうですが、これは例外中の例外です。神さまに肯定される嘘などほとんどありません。

 世の中では、「嘘も方便」とか「嘘は人間関係の潤滑油」等と言われています。例えば、MがAの講演を聞いていて退屈で仕方が無かったのに、終わってから、「とても興味深いお話をありがとうございました。」とMがAに言ったとします。Mはお話に退屈していたわけですから、相手のことを思いやって話したとしても、嘘をついたことに変わりはありません。しかし、Mがそう言ったことにより、Aは、決して悪い気持ちはしなかったことでしょう。このようなケースはどうなのでしょう。嘘をつかなくても、相手を傷つけずに、真実を言うことはできたはずです。

 日本では、「本音と建前」ということがあります。相手の人が本音で言っているのか、建前なのかを聞き手が判断しなければなりません。建前を本音ととって恥をかくということもあります。「建前だということが分からなかったお前がいけないんだよ」と言われそうですが、これは嘘にはならないのでしょうか。

 私たちは、主を畏れつつ、常に嘘をつかないで、愛を持って真実だけを語りたいものです。