坂本キミ「私の生涯の回想記」(第10回)

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教団ニュース・アッセンブリー 1978年8月1日発行 通巻274号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『甲府伝道に赴く』

 昭和六年田中篤二兄が東京滝の川の聖霊神学院を卒業されて当教会に帰ってこられました。


 それで私たちはウェングラー先生と相談の上、私が導きに従って開拓にでかけることになりました。前より祈っていた事でしたが示されたのは「甲府」でした。六月の雨続きのある日、ウェングラー先生は突然に「今日私たちは甲府にゆきましょう。雨にまけてはなりません」と言い出し、先生は雨靴と雨ガッパ、私は高歯(たかば)の下駄(げた)で蛇(じゃ)の目の傘、二人は甲府ゆきの汽車にのりました。お客がごく少い浅川駅より西に出たことのない先生は、その山の景色、山すそを流れる相模川の美しさに思わず立上って歓声をあげておられました。二時間程して笹子トンネル、長い長い始めてのトンネル、黒い煙は車内にもぐり込みお互いの顔は大変です。誠に私には驚きばかり。これが当時の中央線に乗った時の状態でした。


 汽車が塩山(えんざん)に来た頃から雨は止み、晴れ間さえ見えてきたのです。三時間少々で甲府です。山、川、四八ヶのトンネル、多くの村や町を通り抜けてようやくついた甲府。これはまた実に立派な町だ。それもそのはずです。山梨県の東京といっていい所ですもの。八王子など較(くら)べることもできない程の立派な町です。先生は駅前で二台の人力車を頼み、甲府の町全部案内するように言いつけました。この人力車の車屋は実に親切に、市内の隅から隅まで案内してくれたのでした。(一八八九年〈明治二二〉市制)




 この後もう一度先生と私とは甲府に来て白木町二八番地に手頃な二階建ての家を見つけ、借りる事になりました。下は六畳二間、二階が床の間つき六畳、戸棚は充分に備えられ、店舗作りのために教会の入口としても申分なしのできでした。二坪の入口に左右に下駄箱を作らせ、更に障子(しょうじ)でまん中を仕切りました。そして右と左から座敷に入る障子はつい立ての役をしております。六畳二聞の教会堂です。



 かくして夢心地で八王子に帰ってきまして二週間後、昭和六年九月私は住みなれた八王子を去ることになりました。思えば五才で両親に連れられて東京の京橋より八王子に住みつき、以来他県を知らない私でした。神を知るという事、また神が共にいて下さるという事のすばらしさが時がたつ程に世間を知る程にこの身にヒシヒシと感じさせられて参りました。私がもし世間の表裏を幾分でも知っていたらどうなのか。



 しかし、私はただ信じることができた。


 神が私をお用い下さると。甲府に福音を携えて開拓のためにゆくのだ。神がみこころを示し行わせて下さるこの事に確信を抱かせてくださっていました。出発の朝、近所隣りの方々、また信者たちが八王子駅まで見送りに来てくださったのです。いよいよ汽車にのると隣の松ちゃん坊やが大声で泣きながら「松ちゃんのお家も坂本先生とお引越ししよう」とホームで両親を困らせているのです。その母親も涙を一杯ためて松ちゃんを固く抱きしめて泣いています。信者たちもこらえにこらえている顔、顔、顔。私は我に返ったように、別れだ、この人たちと別れるのだ、私は一人になるのだ、遠く山の彼方の地に行くのだと私は生れて始めてこんな心になりました。



 ウェングラー先生は、甲府の家に一週間一緒にいて下さいました。いよいよ落着いて今後の段どりをあれこれたて始めました。



 先生は八王子に帰るに当り、「坂本さん、あなたはここで教会を建てなければなりません」。こうおっしゃって帰ってゆかれました。まったく知る人ぞないこの町、八王子と違い高い山に包まれている町、朝にタにラッパの音で目覚め、ラッパで一日が終る町、ザックザックと兵隊の靴音の絶えない町、それも道理、この町には陸軍歩兵第四九連隊なるものが、甲府市北側高台に置かれていたのです。道路を行き交う人々の話し言葉がこれまた方言ですが、しかし近所の人々は実に親切で朝の挨拶ではニコニコと、老人たちは「おはようごいす」夜には「おばんでごいす」というのです。若い人は余り方言は使わないが、友達同志では方言のほうが自由らしくみえていました。


 さてこれからここで伝道だ、何から始めて行こうかと考え、 まず子供会のポスター書き、ポスター張りと決めて手をつけ始めました。また大太鼓のあるのはせめてもの強みと覚え、夜ともなると町角に出かけて路傍伝道を致しました。幸いにも若かった私には大きな声が与えられていたのです。



 神がこの町の魂のために私をお使いくださるとは何という心強さであろうか。この与えられた神からの使命感に燃えて、まったく知らない甲府の町で、主のため働くことができたのです。(ロマ八・二六~三九)


坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。