※PC上での文字大きさは、ブラウザの「ズーム」機能で調整してください ▶
本文縦書きが、表示されない場合は、ページを再読み込みしてください。

イエス言い給たも人のなし得ぬ所は神のなし得る所なり文語聖書 ルカ1827



 このみ言葉は何と神の御力をはりと教えていることでし当時甲府教会も少々集会らしく整てきましたの私たちは甲府市の北を囲んでいる山の中腹の村に教会学校を始めましたこの村での子供集会で恵まれて帰きたある土曜日の夕方一人の男が近づいてきて突然に私は夢を見たんですそれについて相談にきましたとのこ家に迎え入れて話を聞きますとの人は甲府駅に勤める山田さんという駅員で私達が甲府で最初に路傍伝道を始めた場所以後集会を続けている所の前の家の主人でした


教団ニュース・アッセンブリー 1979年2月1日発行 通巻281号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『駅員・主婦
 ・警部の救い』

 お話を聞けば山田さんは路傍伝道が始まるとまたキリスト教かうるさい窓を閉めろ家の人にどなりつけて窓の雨戸を必ず閉じていたのです
 でも当時全く静かで音ひとつないような暗い町並の広場で打つ太鼓の音また恵みで張りている若い伝道者の声は雨戸のむこうにまで聞えたのですそんなある晩山田さんは夢の中で実に恐しい出来事に出会いましたが襲われ追いつめられた所は山の絶壁で全く逃げ場を失ていた時に神様の声を聞いたきり声は聞えたが見ることはできなかお前の現在はこのような危険な状態にある今後の救いについて白木町にあるキリスト教会に行きなさいと言われ目が覚めりにもはきりすぎた夢なので翌日勤務の合間に駅長に相談した所が駅長は不思議な夢夢なんかと言えない気がするからその教会の責任者と相談してみなさいと言われて参りましたという事です
 彼はその後集会に出席し聖書のみことばを受け入れ信仰を持ち十字架を通しての救いの喜びを与えられかつ娘も共に救いに導かれました実に忠実な親子でしたしかし奥さんはず丨とあとに信仰をもちました

人の為し得ぬ所は、神のなし得る所なり
 その頃教会に祈り会はありましたが待望会はまだ持てなかたのでしたある伝道会の夜説教中に赤ちんを抱いた清水さんという奥さんが集会中に聖霊に満たされ輝いた顔をあげを流して主に感謝していましたしかしあくまで静かに誰も気づかない程でしたその集会の空気は余りにも臨在が濃厚ですべての顔が恵みにあふれて時間を考えている人など一人もない朝まででも集会を続けたい思いが全員に満ちていたのです
 説教が終り最後の祈りになりますと水門が開いた水のようおさえられていたものがはじき返しているような祈りになたのです
 あの温和そのものの清水さんがあふれるばかりに異言で祈ている駅員の山田さんも冬子さんも聖霊を受けて異言で祈ている神のお取扱であ人為的なことは何も加わていな人の為し得ぬ所は神のなし得る所なりみ言葉そのままでこの時から教会は一段と変りました五時の早天祈祷も順次人員が加わり動きだした感が充分でした
 教会の近くの中込さんという米屋の奥さんは強度のノイロ丨ゼで三年も家族を苦しめていた人でしたが路傍伝道から教会に来だしたのですこの奥さんは人の親切な言葉も自分の夫の言う言葉も信じられなかた人でしたけれども教会に来て聖書のみことばを受け入れ信ずる者と変えられ救いの恵みにあずかり聖書の約束を信じて祈り三年越しの重病から医されたのです
 夜ともなれば寝むれない寝むれないと気が狂た人のように苦しんだ奥さんが安らかに寝むれるようになたのです



 父なる神様はこのような悪条件の中に押さえられていた人を救い出して下さいました家族の驚きとまた喜びとはひとかたではありませんでした遂にその夫在郷軍人分団長でその肩書にふさわしい人でも教会に出席し早天に夫婦で加わり信仰をもちました
 その頃甲府警察署の警部であた清水さんがきびしい仕事の上での疲れと責任を感じて病床にたのでしたしかし奥さんの熱心な信仰と祈りこの警部さんも主を受け入れ救われましたかしこの人は聖書の言葉を知る程に自分の仕事は神の前に好ましいものと思えないと主の前に祈りに祈て辞職し関東配電に就職し感謝していましたた奥さんのお母さん妹さんも信仰をもちました
 神様はすばらしいみ業を教会に与えて下さいましハレルヤ昭和七年の秋ングラ丨先生は八王子教会と甲府教会とを心に留めながらアメリカに帰国なさいました月に一回は必ず甲府に来て励まし祈て下さたウングラ丨先生でした
 神のみ恵みはこの淋しい人間の思いにも打ち勝たせてくださいました




坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。