坂本キミ「私の生涯の回想記」(第15回)

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「イエス言い給(たも)う、人のなし得ぬ所は、神のなし得る所なり」(文語聖書 ルカ18・27)




 このみ言葉は、何と神の御力をはっきりと教えていることでしょう。当時甲府教会も少々集会らしく整ってきましたので、私たちは甲府市の北を囲んでいる山の中腹の村に、教会学校を始めました。この村での子供集会で、恵まれて帰ってきたある土曜日の夕方、一人の男が近づいてきて突然に「私は夢を見たんです。それについて相談にきました」とのこと、家に迎え入れて話を聞きますと、この人は甲府駅に勤める、山田さんという駅員で、私達が甲府で最初に路傍伝道を始めた場所、以後集会を続けている所の前の家の主人でした。




教団ニュース・アッセンブリー 1979年2月1日発行 通巻281号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『駅員・主婦
 ・警部の救い』

 お話を聞けば山田さんは路傍伝道が始まると「またキリスト教か、うるさい窓を閉めろ」と家の人にどなりつけて窓の雨戸を必ず閉じていたのです。



 でも当時、全く静かで音ひとつないような暗い町並の広場で打つ太鼓の音、また恵みで張り切っている若い伝道者の声は、雨戸のむこうにまで聞えたのです。そんなある晩、山田さんは夢の中で実に恐しい出来事に出会いました。彼が襲われ追いつめられた所は、山の絶壁で全く逃げ場を失っていた時に、神様の声を聞いた(はっきり声は聞えたが、見ることはできなかった)「お前の現在はこのような危険な状態にある、今後の救いについて白木町にあるキリスト教会に行きなさい」と言われ、目が覚め、余りにもはっきりすぎた夢なので、翌日勤務の合間に駅長に相談した所が、駅長は「不思議な夢だ、夢なんかと言えない気がするから、その教会の責任者と相談してみなさい」と言われて参りました、という事です。



 彼はその後集会に出席し、聖書のみことばを受け入れ、信仰を持ち十字架を通しての救いの喜びを与えられ、かつ娘も共に救いに導かれました。実に忠実な親子でした。しかし奥さんはずーっとあとに信仰をもちました。




人の為し得ぬ所は、神のなし得る所なり
 その頃教会に祈り会はありましたが、待望会はまだ持てなかったのでした。ある伝道会の夜、説教中に赤ちゃんを抱いた清水さんという奥さんが、集会中に聖霊に満たされ輝いた顔をあげ、涙を流して主に感謝していました。しかしあくまで静かに誰も気づかない程でした。その集会の空気は余りにも臨在が濃厚で、すべての顔が恵みにあふれて、時間を考えている人など一人もない、朝まででも集会を続けたい思いが全員に満ちていたのです。


 説教が終り最後の祈りになりますと、水門が開いた水のように、圧(おさ)えられていたものがはじき返しているような祈りになったのです。


 あの温和そのものの清水さんが、あふれるばかりに異言で祈っている、駅員の山田さんも、冬子さんも聖霊を受けて異言で祈っている。神のお取扱であって、人為的なことは何も加わっていない、「人の為し得ぬ所は、神のなし得る所なり」。み言葉そのままで、この時から教会は一段と変りました。五時の早天祈祷も順次人員が加わり動きだした感が充分でした。



 教会の近くの中込さんという米屋の奥さんは、強度のノイローゼで、三年も家族を苦しめていた人でしたが、路傍伝道から教会に来だしたのです。この奥さんは人の親切な言葉も、自分の夫の言う言葉も信じられなかった人でした。けれども、教会に来て聖書のみことばを受け入れ、信ずる者と変えられ、救いの恵みにあずかり、聖書の約束を信じて祈り、三年越しの重病から医(いや)されたのです。


 夜ともなれば寝むれない、寝むれないと、気が狂った人のように苦しんだ奥さんが、安らかに寝むれるようになったのです。




 父なる神様はこのような悪条件の中に押さえられていた人を、救い出して下さいました。家族の驚きと、また喜びとは、ひとかたではありませんでした。遂にその夫(在郷軍人分団長でその肩書にふさわしい人であった)も教会に出席し、早天に夫婦で加わり信仰をもちました。



 その頃甲府警察署の警部であった清水さんが、酷(きび)しい仕事の上での疲れと責任を感じて病床にあったのでした。しかし奥さんの熱心な信仰と祈りで、この警部さんも主を受け入れ、救われました。しかしこの人は聖書の言葉を知る程に、自分の仕事は神の前に好ましいものと思えないと、主の前に祈りに祈って辞職し、関東配電に就職し感謝していました。また奥さんのお母さん、妹さんも、信仰をもちました。


 神様はすばらしいみ業を教会に与えて下さいました。ハレルヤ!昭和七年の秋、ウェングラー先生は八王子教会と甲府教会とを心に留めながらアメリカに帰国なさいました。月に一回は必ず甲府に来て励まし祈って下さったウェングラー先生でした。



 神のみ恵みは、この淋しい人間の思いにも打ち勝たせてくださいました。




坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。