※PC上での文字大きさは、ブラウザの「ズーム」機能で調整してください ▶
本文縦書きが、表示されない場合は、ページを再読み込みしてください。

 ある祈祷会の夜それは恵まれた集会でした聖霊はひとりひとりをとらえて下さたのです誰も隣にいる人など全く忘れ神のみまえに祈ているのですそれは神に相対して熱心に談じ合ているかのごとく訴えているかのように聖霊によて祈ているのですいな祈らされているのです泣きながら祈る者両手を上げて感謝している人臨在の濃厚なこの部屋では天国もかくあるかの思いが一同にあふれているのです



 集会が一応静また時に後ろの座にいた山田兄が立て前に出て講壇に立ち説教口調で異言で語り出したのですそれは実に堂々としたもので私はその態度にふれて驚き恐れました神からか肉からただ祈りました栄光のみあがめられるためにするとしばらくして山田兄はきりとヘブル書七章と九章から読みはじめ話されました(山田兄はこのころまだ四福音書と使徒行伝くらいしか聖書の順序がわかていない時でした) 七章の二十二節から二十五節を強調してイエスこそ永遠に変ることなき祭司であると語り九章では一節から十四節まで読み十四節を強調してキリストの血の力を説きまし語り終ると静かに祈り感謝して座にもどりました





『聖霊のふり注ぎ』

 信者たちはと見れば感激のあまり静まりかえて各々が御言葉にくいいているので富永さんが見えませんので後方にいる信者さんに聞きますと富永さんと冬子さんはこんなすばらしい集会を警察署長がごらんになたらかならずキリスト教を見なおして下さるにちがいないと二人で相談して行きましたとのこと私は全く驚きまし十時だというのに帰てこない二人です早速警察署に二人を迎えに行きました座野兄が案じて一緒に行たのです警察では何の事はない当番の若い巡査が面白がて富永さん冬子さんをからかているのでした実に実に汚い言葉ではずかしめているのです
 若い二人はその前で小さくなているのです私は全く腹が立ちました許せない心で一杯でしたそれまでは法の上に立ている警察官に対して一応は敬う気持ちを持ていた私でしたしかしこの巡査たちの言動を見て全く怒りでどうする事も出来ませんでしたこの巡査は私を見ると気違いの親分が来たと言うのです私も激しく言いとにかく二人を連れ帰ろうとするところへ山田兄が心配して迎えに来て下さたのです巡査は山田兄を見ると何も調べるでもなくいきなり貴様を拘留するかの者は帰れと実にはなはだしい態度です駅で大切な職場の責任のある人ですから帰して下さいいくら願ても聞いてくれません

 私は教会に帰ては来ましたが心がおさまりません信者は一部の人が帰ただけで皆さん心配しています私はこのようなことが今後もあては困ると思い京のマリヤ先生のお父様と弓山先生に察のことまた教会のことも御相談すべきだと思い甲府駅を夜行の汽車でたちノ川の神召教会に向いましたングラ丨先生は休暇で米国に帰省中でしたがルゲンセン師は教会の恵みの様子を知すぐに弓山先生と連れ立て甲府に来て下さいました

 教会に帰て見ると近所の人たちが教会の周りに集まて心配顔でいるのです私が遠くに見えますと家主の奥さんが駆けよ大変ですよ教会の人たち富永さん始めみんな気が狂てしまたようですよ昨晩は一晩中大騒ぎでし泣く人て喜こんでいる人ている人うも同じことが続いているのですとのこと教会は鍵をかけてもはいれません私が玄関をたたいて富永さん帰りましたよ弓山先生もご一緒ですよと知らせますと中から戸を開けて富永さんと八木兄が輝いた顔をほころばせて異言であいさつするのです寧に頭をさげて中にはいると一同聖霊に満されてそのすばらしい事ルゲンセン師弓山師を迎えそのまままた集会になたのです(う思い返しても胸のおどる思いです)



 私は初め先生方を迎えたら警察の態度について抗議してほしかのでした先生方に警察の態度についてお話しましたところゲンセン師は教会がこんなに神様によて扱われているのだからほかの出来ごとは神の手に任せて忘れなさいと言れましたその夜は先生方おふたりによるすばらしい集会でした甲府に来て初めての大集会でした先生方はお泊り下さ幸せそのものでした
 その後教会は神の祝福により日増に生ける神の群らしくなて参りました集会場が幾分狭さを感じて来た時三人の老婦人のひとり玉井しげ姉が教会堂建築資金として一千円を献げたのでした当時一千円で立派な倉が建てられる時代なので実に大金でした早速米国にいるウングラ丨先生にお知らせしたのです十か月後日本にて来たウングラ丨先生は王子市追分町の家に落ちつかれまし一か月後八王子教会に奉仕していた田中篤二師と甲府の私と交替して欲しいということになり府の信者は一同反対でしたがやむを得ない事となてしまいましたこれは神から出たものでないことを今でも悔やんでいます



坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。