電  柱

新・祈りのコラム(2)

月刊アッセンブリーNEWS  2014年6月号

アッセンブリー平塚キリスト伝道所

阿部栄子
Eiko Abe

電 柱

 ある日、東京電力の方から電話が「コンビニが近くに出来る為、電柱を市役所の許可が下り次第、教会さんの前の花壇の所に移したい」と。ワー、コンビニが来るのは、便利になり嬉(うれ)しいが、電柱が目の前に来るのはちょっと抵抗が。1カ月教会の皆で熱心に祈りました。

 とうとうその日に、工事をされる方々は、「教会の真ん前に立てたい」と。「お願いです、教会の端の方に」。…「上司に連絡を取って見なければ」。…

 30分、異言で必死に祈りました。 すると2人の背広を着た上司の方が来て、「端で大丈夫です」。「良かった」と思いつつも、でもやっぱり聳(そび)え立つ電柱が目の前に来るのは、「いやだな~」と言う思いが。「神様私の我が儘(まま)でしょうか? 寛容さが無いのでしょうか?」葛藤(かっとう)しつつもまだ諦(あきら)められず祈っていました。

 午後から、初めて目にする、トラックについた大きなドリルが、地響きを立てて穴を開け始めました。

 「ああ明日には、ここに電柱が立つんだな~、でも神様いやです」。
 往生際が悪く、この期に及んでまだ、「神様、立たない方が良いです。地震が来て倒れたら、教会がペチャンコです。窓を開けて、電柱が目の前にあるのは悲しいです」と思いつく限りの理由をのたまい、しつこく祈って。

 翌日、東電の方から電話が「電柱を立てない事になりました」と。「本当ですか? なぜですか?」「穴を掘ったら、水道管が通っていましたので」「本当に本当に立てないんですね」「立てません。お騒がせしました」。

 やったー、神様はすごい。私はモグラでは無いので土の中に何があるかはわからないですが、神様は御存じで、いやだなと言う思い、諦めずに祈り続けることを導いておられたのだと、教会の皆で心から神様に感謝しました。 (ピリピ2・13)