『今、やっと、
  聞く祈りに』

新・祈りのコラム(7)

月刊アッセンブリーNEWS  2014年11月号

四万十キリスト伝道所

谷口芳彦
Yoshihiko Taniguchi

今、やっと、聞く祈りに

 祈りを知らない者が、祈らせていただける者にさせていただいたことをまず喜びたいですね。私は罪を悔い改め私の人生にイエス・キリストをお迎えした結果、アバ父よ、と呼ぶみ子の霊が与えられ(ローマ8:15、ガラテヤ4:6)、私の霊は生かされました。こうして父なる神さまとの関係が回復され(ヨハネ14:6)祈ることができる者にさせていただいたのです。実に神の子とされ、永遠のいのちと、天の国籍が与えられました。イエス・キリストを受け入れた瞬間からあなたも私も、いつでも天国に行けるのです。ハレルヤ!!

 また、自己中心に生きてきた魂(知性・感情・意思)の部分は、一歩一歩主に似たものに変えられていく聖化のプロセスに置かれました。そして、このプロセスは私の霊と魂、そして内におられるみたまとのいわば共同作業によって成し遂げられていくのです。つまり私はこう祈ります。

 「天の父よ。私の中には肉の欲求がありますが、イエスの名でこれを退け、あなたのみこころである正義と自制を選び取ります。」このみたまとの共同作業が祈りであると私は理解しています。このように理解してから天国への確信が強くされ、祈りが楽しくなりましたね。

 以前は願いの祈りが中心でした。そして、もっと悪いのは父なる神に祈っても、答えを聞かないで自分で考えて行動してしまうのです。このような行動パターンの原因はエリヤハウスセミナーを通して、私と父親との関係に問題の根があったことがわかり、悔い改めてから祈りが変わりました。神に「聞く」祈りが少しづつですが、できるようになりました。

 また、以前は成長戦略路線を歩み、洗礼者を出すことに必死でそういう祈りをして、行動していく中で、「田舎には希望はない」と落ち込んで、「失望、失望」というサタンの声を聞いていました。しかし、聖霊は「なぜ失望するのか、わたしが教会を建てるのだ」と語りかけられるのです。平行してセルコーチングや祈りのサミットなど牧師の交流の中で、「神のみこころ」を行う大切さを学び、「聞く祈り」をささげるようになりました。それまでは「何か大きなことをなしとげなければならない」という、強迫観念のようなものが自分を支配していましたが、今は「私に与えられた信仰の量りによって、神が私に託されている仕事をすればよい」という思いに変えられて、縛りから解放され祈りが楽になりましたね。そしてこの難局を切り開くためには、さらなる祈りが必要ではないかとみこころを伺っています。